うちの廻りには わんこさんがいっぱい散歩しています。
我が家の夫、昨年 会社をリタイアしてからは、ここちゃんの散歩を一手に引き受けてくれています。
健康の為にもいいですしね^^
で、この辺のわんこ社交界で「ここちゃんのパパ」を知らない人はモグリです。
(わんこをお散歩させてる人を見たら、のべつまくなしに話しかけるから)
先日の夜、珍しく私も夜のお散歩に一緒に出掛けました。
すると、折れた前足をひきずりながらお散歩しているムギちゃんというわんこさんに会いました。
前足の先、車に轢かれて、もう神経がないらしいのです。
それでも そんなことはものともせずにテンション高く、ここちゃんの廻りをぐるぐる飛び跳ねて、元気いっぱい!
「まあー、そうなんですか・・・・まあー、大変やったね、ムギちゃん」とひとしきり話して、
「ではー」と別れまして、ここちゃん散歩続行してたら
夫がぽつりと
「でもムギちゃん、えらいよなぁ。あんな足が不自由なのに明るくふるまって」
・・・・え・・・・?明るく振舞う・・・・?はて?
なんか違いませんかね・・・・昔の少女漫画じゃあるまいし。
こんなとこ、きっと天然って言うんですよね。
私もたいがい人様から天然、天然と言われ続けてきて
何故そんなふうに言われるんだ?こんなに私ってしっかりしてるのに。
と、思っていたのですが、
わかりました。
天然、それは ずれている ということなのですね・・・・
天然夫婦、類は友を呼ぶ。そうなのかもしれません・・・・。
*********
コメントを頂いて、一生懸命 コメントのお返事をしようとするのですが
何故かうまくいきません(;_:)
でも、嬉しく拝見しております!
いつもありがとうございます^^*
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店主、コレステロールがやや高めです。
年末のこと、病院にてお薬を処方されて、薬局に処方箋を持って行きました。
お薬が出るのを待っていると、窓口の方が突然
「数の子とか、食べますか?(*‘∀‘)」と声をかけてくれました。
えっ、数の子、まさか まさかの薬局で頂けるの?ええ、どうしよう?貰っちゃっていいのかな?
一瞬迷ったけど、次の瞬間、口が答えてました。
「はいっ!食べます!!」
すると、
「数の子とか、コレステロール高めだからなるべくお正月、控えてくださいね」
えええーーーーっ!
なんという勘違い、と言うか、質問、紛らわしっ!( ;∀;)
あんたが食いしんぼなだけやんか・・・・by ここたま
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↑ 去年咲いていたミモザ
ベランダのミモザの蕾がそろそろ膨らんできて、
明るい光に でもまだまだ風は冷たくて
この季節、卒業式に着るおキモノのことでご相談を受けることが多くなってきました。
卒業式 別れの季節です。
「暦の上では」って”風”の歌がこの季節にはとても聴きたくなります。
昔、昔、世の中が今よりもうちょっとのんきだった頃(と言うか、私が呑気だった)
17才の私は同級生の”風クン”をアツい眼で追っていました。
”風クン”って勝手にあだ名をつけて密かに心のなかでそう呼んでて、いや〜恥ずかしいくらい思いっきり乙女です!
♪君が泪ぽつんと落とした日 街ではもう春のセーターが店先に並んでた
街はまだ冬の名残り 風は冷たい
君が窓開けて僕を呼べば やっぱり振り向いてしまう
君の泪が雪に変わって僕の肩に落ちた♪
卒業なんて言葉はとても嫌いさ
君と悲しみ、君と笑った学生時代も終わり
ボタンダウンのシャツもそろそろ着れなくなってくる頃♪
「なごり雪」も名曲だけど、この歌や「あいつ」とか「置手紙」とかも、とっても名曲!
アレクサに頼んで 最近またかけて貰ってます。
昔の歌を「アレクサ、〇〇かけて!」と言うだけでいつでも聴ける、全く便利な時代です。
二学期が始まったある日、ふと振り向いた時、後ろに座ってた学級委員の男子の、下を向いた顔が、当時かぐや姫のメンバーだった”風”の伊勢正三さんにそっくりで、その瞬間から正やんの大ファンだった私は 彼のことを密かに”風クン”と呼び、密かにお慕いし始めたわけで。
正義感強く、爽やか、でもちょっと意固地。
という、単純で少女漫画のようなお話。
しかも当時 北九州出身の漫画家、陸奥A子さんの漫画に傾倒していたオトメな私は漫画の世界よろしく、密かに憧れをエスカレートさせておりました。
そして高校の卒業式の日から始まった人生のストーリー。
その彼がそれから10年後、旦那様になり、12年後、娘の父になり、そして今はもう故人です。
”1999年、7の月、空から恐怖の大王が降って来て、人類は滅亡する ”
私たちが高校生の時、この「ノストラダムスの大予言」の本が発売されて、
1998年のクリスマスの前の天神のイムズの垂れ幕に ”HAPPY LAST GRISTMAS byノストラダムス” みたいな垂れ幕がかかってたような記憶が(笑)
「1999年、7の月に世界人類がみんな滅亡しても、俺だけは生き残る!」
そう言ってた彼が、その1999年7月にあっけなく他界。
もしかして、あまのじゃくな彼は人類みんなの命を背負って逝っちゃった?
昔の男子は髪を伸ばしてボタンダウンのシャツにジーンズ、それだけでオシャレだったから
今と違って随分安上りでしたよね〜
あれから時代は流れて、そして先日とうとう私は前期高齢者に!
嫌な言い方ですよね〜これ。
まだまだ頑張るつもりなんですケド。キャパシティは落ちてますが('ω')
そして今日は3月1日。あの卒業式の日からもう47年が経ちました。
]]>ももちゃんは娘でしたが、ここちゃんはお孫みたいです^^
とっても久しぶりに 日記を開きました。
文を書くのが好きなので、ここはお店と関係なく自分の日記として書いているのですが
足跡を残してくださっていらっしゃる方がおられて
この場を借りて ほんとにありがとうございます!嬉しいです(´;ω;`)ウゥゥ
昨年、コロナがやっと落ち着いてきた頃、スタッフの陽子さんがお引越でMOMOKOKOからいなくなって、
それから一人になって どうやらこうやら今日まで。
ありがたいことに 次から次とお仕事を頂き、お店の日以外にもお着付や撮影やレンタルなど、慌ただしい日々でした。
そして、お店の看板娘の着姿かっこいい陽子さんがいなくなったとなれば
私が看板となり、キモノを着なくてはいけないではないか!
その為には すっかり小さくなってしまった私のキモノちゃんたちを(いや、私がひたすら成長して大きくなっただけ)
また纏うべく、そうよ!痩せねばよ!(/・ω・)/ ←娘が過去の遺物の顔文字と言います〜
で、ダイエットとお仕事と日々励んでいましたが なかなかダイエットうまくいかず
そしたら突然の母の癌の宣告。
ショックのあまり食事が摂れず、いつ病院から呼び出しがかかるかもしれないので大好なビールも飲まなくなれば
なんやかんやで あらまあらまとおもしろいように痩せました!
しかし、20数年毎晩せっせとビール飲んでたのって・・・・今考えるとコワいかも。
私の痩せた姿に娘が「病気じゃない?」と心配してくれたのですが、
なんだか不安になり、何も気にせずまたどんどん食べたら直ぐに体重は増え、とりあえず病気ではないです(笑)
食事のあと、フラを踊ったりスクワットしたり、一口30回噛む、ジムにも週一日通う など地道な努力を日々やっているのです。
健康の為にもまた太らないように これ、キープせねばですよ〜(; ・`д・´) ←過去の遺物顔文字
で、高度経済成長の昭和の燃え残りな私ですが(娘がそう言う)
最近 本当に時代にマッチして生きてきたなぁと思ったりします。
今思えば 昭和33年、東京タワーに高速道路、関門トンネル、新幹線、と戦後ニッポン、本当にひたすら頑張ってきました。
小学生の時は 雨が降ると 「放射能の雨が降るから濡れてはいけない!」とか言われてました。
今の銀行がどうかわからないですが 電卓もない時代、銀行員の父が私が起きてる時間に帰宅することはありませんでした。
男女平等と教育を受けて育ったにも関わらず、大学卒業して会社員になったら いきなり男女の賃金格差!
26才のとても仕事の出来る女の先輩が 上司に「君、そろそろ・・・」とか肩叩きされてる!Σ( ̄ロ ̄lll)
女はクリスマスケーキ、25才過ぎたら価値なし とか言われてた時代なのです。
半面、風邪をひいてお休みしたらお局さまから「気合いが足りない!」と怒られる。ひえ〜まだ戦時中?
なんやかんやと紆余曲折して簿記を勉強して入った税理士事務所(ここは実力主義でした)仕事はとてもやり甲斐ありましたが
確定申告の時期、2月11日の祝日を最後に3月15日まで一切の休みなし!
土曜、日曜は残業はないけれど、毎日10時くらい、遅い日は12時くらいまで残業してたような。
娘を身ごもってる5月の残業の時期は つわりに苦しみつつ、残業。
今思うと、オフコンはあれど今のようなパソコンはないアナログな手書き時代。全くよく頑張りました、昭和女子!
出産して2年の育児期間ののち復職。でもあくまで家事育児は女の仕事で。全くよく頑張りました、昭和女子!
今は男女雇用機会均等法、働き方改革、育メン登場・・・・と、時代は変わりました。
なので私も 昭和の燃え残りから令和を生きる人にカスタマイズしなければいけません。
とりあえず・・・・今のテーマは がんばらない。
ホームページが更新されていなくても インスタ更新してれば大丈夫!と、自分を甘やかし、
色々気にしないこと、それがこれからの私のテーマなのでございます!(/・ω・)/
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聞いたことあるフレーズがずっと頭に浮かんでいました。
調べたら西行。
「願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」
如月にそんなに花って咲いてるかなぁ、西行さん。
満開の桜を見ながら病院からの帰り道、毎年桜を見る度に思い出すのかなと思いながら、
それでも色とりどりの花があちこちに咲いて、陽射しも明るく、一年でいちばん命が輝き出す4月。
そんな季節、桜がすっかり散り終えた頃、母が逝きました。87才の、誕生日の翌朝でした。
子供の頃から、ずっと来るのが怖かった日、それは親を失う日でしょうか。
父を失ってから41年が過ぎ、それでも母が生きていてくれたこと、それはなんと心強いことだったでしょうか。
60才を過ぎてからフラを知り、20数年間、フラの指導者として複数の教室を持ち、活躍した母でした。
地味な私とは違い、華やかで交友関係も広く、そんな母のお葬式はすごく盛大になる筈でしたが、
落ち着いてきたとは言え、コロナ禍の中なので、身内だけで。
でも、それが却ってよかったような。
残された者にとっては 弔問の方に気を遣うことなく、ゆっくり大切な人を送れますもんね。
いよいよ苦しくなって会話も出来なくなる前に 婦長さんの好意で30分ほど母の病室で過ごせました。
ハワイ大学の聴講生になって現地でフラを習得したことや、私の娘を先生や婦長さんに自慢したとか言って、いたずらっぽく笑い、
今年で数えの八十八歳になるんよ、とか、そんな他愛もない話をして、それが最後の大切な時間になるなんてその時は思いもせずに。
だからわたしも願わくば 春に、四月に逝きたいなぁ、と思います。
生きとし生ける者、生まれてきたら必ず迎える終わりの時は
残された者がなんだか救われる明るく美しい季節、四月がいいなぁ。
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ほんとに会社only人生だったパパさん、これからボケないか、私は心配です。
だからこれからはMOMOKOKOで こきつかってあげます!(/・ω・)/
思えば15年前に出逢った時から彼は仕事人間で、食事管理が必要な彼の食生活をサポートするべく、使命感に燃え、愛犬のんのんを連れて 北九州から下関に渡った私。
移り住んだ彼の家は 庭は草ぼうぼう、リビングの扉のガラスは割れたままガムテープで止めてあって、あとで知ったけど台所の電気は漏電してて、床下はシロアリが巣食っておりました。
そして何より、そこは8年前に奥さんを亡くしたまま、玄関の下駄箱も、奥さんのものがある部屋もそのまま、リビングも台所もそのまま、埃がたまったお仏壇もそのまま殆どお線香もあげられることもなかっただろうと思われ、しーんと時が止まっていました。
やっぱり彼の事がとても好きだったから、頑張れたんだと思います。
草むしりをして、家を片付けて、リフォームもして、奥さんの物も頑張って処分して。
実は、気が狂いそうだった。
憧れの専業主婦になったのは嬉しかったけど、実は仕事がアイデンティティだった私でもあります。
このわけわからん状況に心が対応出来ず、色んな不定愁訴が私を襲いました。
遂にはストレスで、寝ても起きても一日中耳鳴り。
何を考えているのかわからない無口な彼に何度も何度も想いをぶつけるけれど、それを聞いてはくれるけれど、なんだか馬の耳に念仏(>_<)
彼がいちばん大事なのは会社だ・・・・そんな感じでした。
私はご飯を作る家政婦。
でも、不動産オタクの私に興味本位で連れていかれた門司のマンションを買おう!と言ってくれて、
朝も暗いうちから頑張って門司から下関まで通勤してくれました。
お店をまた始めたい、と言う私を応援もしてくれました。(手伝うことはないけど)
そして出逢った時は課長だったけど、最後は取締役までになり、彼は本日、長い会社人生にさよならを告げます。
なんだか再婚14年、色々あったけど、心配性で繊細ハートの私には、どーんといつも動じない鋼鉄ハートのパパさんは実はベストパートナーではないかと最近は思えています。
そして嬉しいことに、今迄あげるだけで3月14日には絶対返ってこなかったお返しを 今年、初めて貰いました!
(´;ω;`)ウゥゥどうしたのさ
パパさん、本当に長い間お疲れさまでした。
これからほんとにボケないでよ〜 でっかいパパさんを介護するの、やだからねっ( ゚Д゚)
って、実は私がボケたりして^^;
その時は宜しく頼みますっ。
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お正月にNHKでウィーンフィルニューイヤーコンサートが放映されました。
2002年の小澤征爾さんの指揮の時、CDを聴き、「美しく青きドナウ」の感動的な演奏、そして最後の演奏曲の「ラデツキー行進曲」でウィーンフィルの演奏と聴衆の手拍子が一体になって、最後を華々しく飾って終わるというのがとても好きでした。
2002年と言えば 雑貨屋を経営していて、表向きの優雅さとは裏はらに、内情はとてもサバイバルに働いてました。
だけど、サバイバルながら娘とふたり、楽しく呑気に暮らしていて、
夜 静まり返った住宅街にサーカスの音が近づいてくる、と思ったらそれはお店から帰って来るお母さん。と、娘。
車の窓を閉めていても「ラデツキー行進曲」が段々聴こえてくるというのは そんな大音量で聴いてたんですかね、誠に申し訳ないですが^^;
そんなサバイバル時代にいつも聴いてたウィーンフィル。
今年初めて映像で観ました!
指揮のダニエル・バレンボイムさんの左でフルートを吹いてる方と、右でチェロ?を弾いてるお方が個人的にとても気になります。
知的で優しそうです^^
そして、後方でコントラバス?の紅一点、かっこいい!
ウィーンフィルに入団するまでに この演奏家の方たちはものすごい努力を重ねてきたのだろうなぁと皆さんのお顔を眺めながら
豪華絢爛な西洋の重厚緻密且つ優雅で豪華なホールに圧倒され
手拍子で楽団と聴衆が一体となっているその空間にまた感動。
私もこの空間に来年あたり、行けないだろうか?と調べたら
なかなか入手困難なウィーンフィルニューイヤーコンサートチケット付きのツアー 98万円というのがありました。
当日は馬車に乗って会場に行くんですって!
しかし旅行代金はもとより、小心者なので、プレッシャーでどうかなりそうなので、来年もテレビで鑑賞して感動したいと思います。
それにしても 圧倒されます。この空間。圧倒的な素晴らしいオーケストラ、そして素晴らしく重厚で精緻で優雅な建築。
幕末に西洋に行った日本人は 昨年の大河ドラマの「青天を衝け」でも渋沢栄一が初めて訪れたフランスで圧倒されているシーンがありましたが、木と紙の家で簡素に暮らし、精神文化を重んじる日本人にとって全く衝撃の異文化であったことでしょう。
私は昭和33年生まれ。東京タワーと関門トンネルと同い年です。
物心ついた時は それこそ「ALWAYS三丁目の夕日」の世界でした。
母は買い物かごを提げて市場に買い物に行ってたし、家に帰ると時々着物も着てたりして、洗濯機はハンドルを回して洗濯物を絞るやつでした。
父の車はポンコツですぐにエンジンがダウンして、小倉の町もまだところどころ田んぼがあって、しかし海は汚くて。
海は汚いもの、川も汚いもの でした。
私はまさに日本の高度経済成長の時代を生きてきたんですね。
そして、昭和は過ぎ、平成、令和と今も引き続き生きてます!
そして令和の今、世界は飽和状態、閉塞感に満ちています。
北九州の海と川はだいぶん綺麗にはなりましたが、地球はいまだ危機。
いや、地球が危機なのではなくて、私達人類が、地球に住めなくなる危機なんですよね。
先日もトンガで海底火山の噴火、その影響は北半球の日本まで届きましたね。
生きている地球の上で私達が間借りして生活させて貰ってるだけで、そのうえで核を持ったり使ったりミサイルを打ったり戦争をしたり。
人はいつの間にか生物の長に収まって 宇宙にも行き、あたかも地球の支配者になったかのようですが、
地震や火山の噴火など 自然の猛威にはどうにもこうにも太刀打ち出来ない小さな存在です。
いじめはダメ、と言いながら人や世界は依然と紛争してて、暴力がある、破壊がある。人は傲慢でやりたい放題です。
せめて、間借りしている地球の上で 借りているという謙虚な心を持って私は暮らしていきたい。
一体いつまで間借り出来てるのか、わかりませんけどね。
人種、宗教、思想、文化、金子みすずさんの詩のように、みんな違って、みんないい。
トンガの噴火の影響に国境なんてなかったように 同じ地球に住んでる者同士、いがみ合わずにみんな仲良く、そしてこの地球を大切に、汚さないように間借りしていければいいのにね。
そんな簡単なものではないのかもしれないけど、シンプルにウィーンフィルニューイヤーコンサートに感動し、改めて思った新年でした。
「美しく青きドナウ」はヨハン・シュトラウスが 敗戦に打ちひしがれたオーストリアの国民を励ますため、”ウィーンっ子よ、楽しく過ごせ”と作った曲なんですって。
だからかな?ちょっと悲しい時も、心がしんどい時も、これを聴けば勇気を貰えて、元気が出ます!^^
音楽の力も国境を越えますね!
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家では傍のマンションに遮られ、月が拝めないので、ささっと夕飯を食べて、ここちゃんの散歩も兼ねて、月を眺めながら、駅沿いの道を二人と一匹でずっと歩き、
帰りは門司駅近くのカフェ・ド・ブリックのテラス席がよく月が拝めたので、
ここでワインを飲みながら月食フィナーレショーを観測!
ここちゃんもお月見!
そして娘にもラインで 写真を送ってあげました。
すると返ってきた返事が
「なにシャレオツな夜過ごしてんだ」
ひえ〜、スミマセン!( ゚Д゚)
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ここちゃんは夜、活躍します。
昼間、うんと寝てるので、夜、元気に夜遊びします。
夜のここちゃんは こっちのママさんのお布団と あっちのパパさんのお布団を夜中、行ったり来たりしています。
公平に寝てやろう と思ってるのでしょうね。
里(ブリーダーさんち)から持たされてきた羊さんのぬいぐるみを自分のおもちゃ入れからさっと探してくわえて、小走りにやって来るのはまずママさんのお布団です。
羊さんは ここちゃんの枕です。
上手にくわえて羊さんに顎を乗せて眠ります。
一昨日の夜、ここちゃんはパパさんのお布団のベッドマットにうんちをつけました。
(ベッドはあるのですが、ここちゃんが高いところが苦手なので、私はリビングにお布団を敷いて、パパさんは和室にお布団を敷いて、それぞれその上にベッドマットを敷いて寝ています)
うんちをつけられたベッドマットをお洗濯するので(うちは夜に洗濯機を回す because 深夜電力、割安)
「僕は今夜ヨギボーで寝るよ」とパパさんが言いました。
実はとうとうヨギボー、買ったんです!
”ヨギボ〜”と言いながら倒れこむように座ったり寝たりするのは まさに至福。
夜中、ここちゃんの夜遊びに付き合うのは決まってパパさんです。
ワンワン!といくら吠えてもママさんは決して起きません。
娘が赤ちゃんの時、夜中、少しの泣き声でもあんなにさっと目が覚めたのに
今はほんとに目が覚めない。
と言うか、目が覚めても寝たふりをします。
わんこさんの夜遊びになんて付き合えません。
今朝、目が覚めたら パパさんがまだ寝ていました。
明け方に洗濯、乾燥が済んだベッドパッドを早々に布団に敷いて、ちゃんと布団に寝ていました。
パパさん、いつもはここちゃんと早朝散歩に行くのに、今日は6時を過ぎてもまだ寝ていました。
あとで理由を聞くと
「あのさ、ヨギボーで寝てたら夜中 kokoがやって来てさ、足の間に寝るんよ。そしたら身体はヨギボーに埋まってて
足にはkokoが寝ていて、全く身動きがとれんでさ」
「そのあともう一回やって来てさ」
ぷぷぷー!
「悪魔が来たりて笛を吹く」というフレーズが頭に浮かぶ〜!(笑)
KOKOが来たりて 足に乗る
優しいパパさん、 じっと身動きとれないまま、我慢、我慢のヨギボー悲話です(´;ω;`)ウゥゥ。
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豆腐を入れるだけで ものすごく美味しい麻婆豆腐が出来上がるって。
えー、ほんまかいな
で、早速買いに出掛け、そちらを使ってみました。
我が家では にんにくや生姜や長ネギとかを最初炒めて、次にミンチ肉を炒め、酒や味噌やみりんやオイスターソースや豆板醤とか
を全く適当に入れて、最後に豆腐とニラを投入して、作ります。あ、片栗粉でとろみもつけます。
適当に作るのですが、結構毎回美味しく出来上がります!!
(家庭料理が何故飽きないのか?と言うと、毎回、味が違うからなんですって。)
でもそんな簡単で美味しいなら 簡単なやつを利用するしかないやん!
と、その麻婆豆腐の素で先日 作ってみました。
作り方は容器にさいの目切りの豆腐を入れて 麻婆豆腐の素をかけて、レンジでチンする。
それは豆腐の水切りをしてなかったからなのか、ニラも入れたのが悪かったのか、
出来上がったものは しゃばしゃばして、イマイチ、いや、イマサン美味しくなかった・・・・(-_-)
夫に 「これって、私の作ったものの方がまだましよね」
と言うと、
夫はにっこり微笑みながら
「ほんと!あつこの作った方がまだましや!」
・・・・・夫は、日本人が謙遜するということと、正しい日本語の使い方をもっと学習しないといけませんね(-_-)
正解は、「あつこの作ったものの方が 断然 美味しい!」やろが!(; ・`д・´)
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わたしは灯りが大好きなので、早速、夫と出かけました。
途中、リバーウォークにて
かわいいミニブタちゃんに遭遇!
動物ダイスキ店主は黙って通り過ぎれなくて、色々知りたくて飼い主さんに話しかけると
すると、
「ももここさんですよね?」
えっ?私ってそんなに有名人だったん?('ω')
と言うか、まさかの知り合いでした( ゚Д゚)
イマドキ、みんなマスクしてるのでわからないですよね。
そして小倉城下に広がる竹灯り。
幻想的な風景に、
竹の間に浮かび上がるキモノ美女の演出まで!
そして帰りには
お堀に写し出された逆さ小倉城!
早速、今朝、娘にラインで報告!(またかい)
すると、これ見て
「赤い霊柩車のオープニングやん」
「皆さんは 家族葬と言うものをご存じでしょうか・・・?」
(Wikipedia参照:オープニングは化野念仏寺の西院の河原に着物姿の片平が立って葬儀の問題について語りかけ、大村と山村による寸劇が挿入後、再び片平の画面に戻り「葬儀のご用命は、石原葬儀社へ」という言葉で締める、というアバンタイトルが使用される。)
もうだいぶ年齢を重ねているのに 主人公とその彼が未だに婚約者という謎。
そして私が子供の頃から全然変わっていなくない?と驚きの大村崑さん。
「赤い霊柩車」シリーズ、ずっと続けて欲しい2時間ドラマですね。
そして、
「これ、すごくない!?」と振ると
「赤い霊柩車やったらこういうところに死体浮いとるけね」
「ぷかー、て」
「浮いとるけね」
朝から相変わらず面白いやつ(笑)
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コロナもそろそろ落ち着いてきたかな というタイミングで成人式のお振袖を選びにいらっしゃいました。
うちの娘が成人式の時、成人式当日ではなく、はたちの記念に春休みに振袖を着て撮影しようということで
私の娘は私の振袖を着ましたが、夫の娘は貸し衣装屋さんで振袖一式をレンタルしまして、一日借りて105,000円でした。
そして美容室でお着付して貰ってまたお着付代をお支払い。
当時の私は 着付教室に通い始めたばかりでキモノのことはよくわからなくて、
そーなんですね!と思ってましたが・・・・
今 娘ふたりの振袖姿の写真を眺めてみると、30年前に私が着た振袖の方が 新しく借りたプリント柄の振袖より格段にいい。
いいものはずっといいんですね、ビバ!昭和のキモノ!(/・ω・)/
MOMOKOKOにある振袖は昭和、平成のものですが そしてそんなに豊富にあるわけでもないのですが、綺麗でよいものばかりです。
その後の保管のことなど考えると・・・・と、レンタルを選ばれる方も多い昨今、
MOMOKOKOでは 振袖のお値段に関係なく、一律 税込¥38,000にてレンタルを始めることにしました。
(レンタル後の悉皆代も含みます)
草履、バッグもセットでお貸ししますので、ご安心ください。
成人式当日のレンタルでもお値段は変わりません^^
お着付けは レンタルの方 税込¥10,000にて承ります。
ただ、ひとりでやっています為、成人式当日のお着付けが確実にお約束できません。
前撮り、後撮りに関しましては 提携のヘアメイク、撮影のセットプランもございます^^
大手さまのプランはレンタル、前撮り、お着付とセットで、流れに乗れば楽ですが、
MOMOKOKOみたいな小さなところで、心のこもったお仕度もまたよいものです。
本日はちょこっと宣伝でした^^
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それは・・・・暗闇に現れた・・・・首のない着物のひと・・・・
おうちで店主が着付お稽古中のトルソーちゃんでした!
驚かせてごめんね!
]]>(前置き)いつもしょうもないネタでスミマセン。
先日、夫と話していると、
夫が「ちっちゃい頃、近くの駄菓子屋に金、握りしめて行きよった」
と話していました。
なんだろう・・・・・( ゚Д゚)なんだかしっくりきません。
こんな時は 大先生にご意見を頂戴しなければ!
で、娘にラインをしてみました。
「金 にぎりしめて」
「なんか・・・・・違う気がしませんか?」
すると、早速お返事。
「何か犯罪の匂いがするな」
「なぜだろうか」
「う〜ん・・・・」
「なんかこう、」
「切羽詰まった感があるよね」
「(笑)」
「なんか汚い金な感じがするよね」
「・・・・それな!」
考察 終わりです(笑)
ネタにされてるとも知らず、夫、今 掃除機かけてます。
]]>
「あさイチ見てくれてるかな?」
今日は金曜日だけど、娘の会社は連休になってて、いつもは見てない筈のNHKの「あさイチ」が娘の部屋で流れているようで、いきなり娘よりこんなラインが届きました!
本日のゲストは坂口健太郎くん!
坂口健太郎と言えば、今、朝ドラでヒロインの恋人役を演じている今をときめくイケメン俳優。
「ファンなの?」とお返事すると
「いや、初めて知った」
「誰この人」
・・・・・知らんワケね。まあ、そうよね。。。(芸能ネタに弱いヤツ)でも、
「えっ」
「それは驚いた!」
「マジで?」
「それでも若者か!」とお返事すると
「テレビ見ても知らん人ばっかり・・・・」とネガティブなお返事が返ってきたので
「ほんとに知らん人ばっかりなんやな」とわたくしもお返事を打ち、
慰めにここちゃんの鹿の角をかじる写真を送ってあげました!
今をときめく坂口健太郎くんは朝ドラで今、センシティブで不器用なお医者さま役、菅波先生を演じています。
なので、坂口健太郎くんの説明をしてあげようと
「このお方はな!」
「菅波先生だ」
と教えてあげました。
すると、
「菅波おここたま?」
「菅波先生!しかのつのは楽しいですか!」
えっ、ここちゃんが菅波先生とな!(笑)すごい勘違い
「坂口健太郎が菅波先生やないか!」
「あねっ」
坂口健太郎とおここちゃんがごっちゃになった金曜日の朝、そろそろ空高く、秋の気配でございます。
]]>
ももちゃんもツンデレなところがあったけど、ここちゃんは更にそれに輪をかけたツンデレわんこさんです。
「ただいまーっ」と、お留守番してたここちゃんに駆け寄ると、シュタッ と逃げる。
だけど、「いいもんねー」って知らん顔してたら スンスン と寄ってくる。
そんなここちゃん、夜はママさんが寝室でひとりで寝て、ここちゃんと一緒に寝てあげないと翌日、下痢をしてしまう。
ここちゃんはそんな非常にセンシティブなわんこさんなのです。
センシティブなここちゃんは トイレマットがぷよぷよ状態だったら嫌みたいで、「いっぱいになったらきちんと替えとかんかい!」と、トイレのすぐ横の床に嫌がらせおしっこをします。(通称、イヤション)
昨日の夜、キッチンで洗い物をしていた夫から「トイレマットいっぱいみたいだから替えて!」と言われ、
「はいはい」とそちらへ向かうと
途中、スルーっ と足がスケートのように滑り、一瞬で世界が変わった!
何が起こった?気が付けば、全身びしょびしょになって床に背中から倒れている私。
トイレマットへと向かう通路、ここちゃんがいつもとは違う箇所に大量おしっこをしてたのに全然気が付いてなくて
うちはスリッパを履かなくて素足生活なので(スリッパを履いてもここちゃんに奪われるから)見事にひっくりこけてしまったの。
放心状態で「・・・・・・。」な私。
突然、テーブルの向こう、彼の視界から消えた私に、夫は私が突然の病に倒れたかと思ったみたい。
「うう・・・・」
わんこさんのおしっこに濡れてまみれてよろよろと、全身びしょびしょの服で洗面所へ、
洗面所の扉の向こうでいつもは滅多に吠えないここちゃんが「わんわん!」
ここちゃんを無視して洗面所に行ったからツンデレここちゃん、心配したのか?
それとも流石にママさんをこんな姿にして悪いと思ったのか?
シャワーして着替えて、娘に慰めて貰おうとライン。
「ここちゃんのおしっこに気が付かず、つるっとおしっこに滑って転倒」
「服が全部おしっこにぬれて」
「辛すぎ」
( ノД`)シクシク…
すると返ってきた返事が
「ええっ・・・・」
「かわいそうなのに間抜けすぎていまいち同情できない・・・・」
( ゚Д゚)
]]>
ふう〜っ、暑いですね!
そしてコロナのデルタ株、心配です。
先日、店主は2回目のワクチン接種を済ませました。
接種後、接種部位を軽く手で5分間押さえておくと、あとが楽です。
私の母が受けた会場で、お医者さんがみんなに言って回っていたというので、私もその通りにしたのですが
接種2回とも腫れることもなく、その後の痛みもさほどでもなく、とても楽でした^^
会場によって言ってくれる会場と、そうでない会場があるようで、私が受けた異なった二会場ではそのことは触れてなくて、
うちの旦那さんが受けた会場は二回目の時にお医者さんが皆さんにそう言ってたそうです。
そっと押さえておくだけで随分とその後の痛みが違うのなら
是非 押さえてください。
たのむ、そうしてください。
一日も早くコロナの嵐が過ぎ去りますように
みんなが安心して暮らせるようになりますように・・・・
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MOMOKOKOの帯留シリーズ
「ドラゴン桜2」が今、放映されていますね。
最初の「ドラゴン桜」は娘が高校生の時にやってて、その頃の娘は行ってた高校がやれ進学コースを決めろだの勉強、勉強!みたいな感じだったので それに反発して全く勉強しなくなってて、遂には担任に”このままでは進級も危ないです”と言われる始末でした。
その頃の私は若松で雑貨屋を経営してて、母子家庭だったので兎に角 夜遅くまで働いて、働いて、働き倒していて、
勉強してないことは知ってたけど、勉強してない姿はおかげさまでそんなに目の当たりにしてなくて、ついでに危機感もなくて、
そもそも 「〜しなさい」と言う強制こそ大人も子供も一番イヤ!ということは知っていたので、
あの頃の私達親子は私がサバイバルウォーカーだったこと以外、呑気に笑いながらへらへら楽観的に暮らしておったのです。
そんな時、お店でバイトさんに「娘、勉強せんくなったんよね〜」とぼやくと、
九大生の息子さんを持つバイトさん、「”ドラゴン桜”とか見せたらいいですよ!(*‘∀‘)」と教えてくれました。
早速 帰りに本屋さんに寄って シリーズの漫画、一冊買って、その辺に転がしておきました。
それから 先生に留年!と言われたこととか、ガンプラのプラモデルを作って自分はものづくりが好きだったということへの気づき、そして”ドラゴン桜”のなかでの示唆 、それでくすぶってた彼女のなかの火がうおーっと燃え上がり、
従来の負けず嫌いな気性も手伝って、「あんた、そこまでせんでも( ゚Д゚)」と私が言うほど、猛勉強を始め、
結果、留年を免れたのは言うに及ばず、到底無理やろ と思ってた大学への入学も見事に果たしたのです!
全く、親も子も両極端な性格です。
目的を一度定めたら突っ走る、でも目的がなければ糸の切れた風船。O型だもの。
そんな思い出の「ドラゴン桜」、
この前の放送で「全ての教科の基本は読解力だ!」と桜木が叫びました。
そして、読解力というのは 幼いころの親の読み聞かせなどで養われる、とかも言っていました。
よっしゃー!(/・ω・)/
読み聞かせ、やってましたで!赤ちゃんの頃からずっと!
で、うまいこと私の企みは成功し、まんまと本好きな子になりました。
話は戻り、桜木が
「お前ら、これを200字(確かそうだったかな?)以内で要約してみろ」
そこで出たお題が 「走れメロス」
そのことをラインで話してる時に思い出して、娘に「走れメロス」を100字以内で要約してみ?と言ってみました。
そしたらすぐにこれが返ってきました。
娘「私、要約、めっちゃ得意よ。的確に要点を押さえつつ、作品の雰囲気をぶち壊す要約」
そして、
娘「メロス(無職)が妹の結婚式に出る為に親友を人身御供にする話」
母 「まあ、確かにそうなんやけど(-_-; メロスって無職やったん?」
娘「冒頭で言いよるやん」
「普段は笛吹いたり羊と遊んだりしてて政治のことはまったくわからん」
「それなのにいらんことして捕まって、でも妹の結婚式には出たいから親友を人身御供にした」
母 「よく憶えてるね!」
で、娘、すぐにネットで原文を引っ張ってきた。
娘「そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセリヌンティウスという石工がいます。
あれを、人質としてここに置いていこう。わたしが逃げてしまって、三日目の日暮れまで、ここに帰ってこなかったら、あの友人を絞め殺してください。たのむ、そうしてください。」
「*なおセリヌンティウスの許可は得ていない」
「セリヌンティウス ”えっ・・・・・?” 」
「無二の親友なのかどうかも怪しい」
「この物語の中で一番ヤバいのはメロス」
「一番素直なのが王」
「一番かわいそうなのがセリヌンティウス」
母「なんで絞め殺してください なんやろ?」
「殺してくださいでよくない?」
娘「それよ」
「なんで殺害方法まで指定しよるん」
母 「確かに^^;」
「走れメロス」と言えば、「メロス、俺を殴れ」
「一度でもお前を疑った俺を殴れ」
そんな美しい友情の言葉しか思い出せない母は、メロスが無職で笛を吹いたり羊と遊んだりしてて、友人のセリヌンティウスは石工で真面目に働いてて、友人メロスの無茶ぶりにもきちんと対応していたことを今更ながら知りました。
そして友人の殺害方法まで指示していたことは全く忘れ去っていました。王にたのむ、そうしてください と積極的に頼んでいたことも忘れていました。
それから話の意図からは遠ざかり、私は娘から”母ヌンティウス”と呼ばれ始め、
なにかと言ったら「たのむ、そうしてください」が母と娘のラインで今 流行っております。
]]>ああ、幸せ・・・・・(鹿の角をかじる至福の時)
娘の住んでる街は緊急事態宣言は出てないけど、基本、最近は娘もリモートワークしてて、
月曜日は会議があるので出社した模様です。
で、朝から何度もラインが鳴りました。
「コンビニでおじさんが朝から切手やらタバコやら買ってて後ろを渋滞させていた」
「空気を読め」
「朝の駅のコンビニでそんなもん買うな」
「戦場なんだ朝の駅のコンビニは」
母「(笑)」
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お散歩バッグにお財布と小さく畳んだあずま袋を持って近所の市場に。
八百屋さんに沢山並んだ新鮮な野菜たちを見ると、美味しそうで沢山買い込みたくなって。。。。
↓
畳んだ状態^^ 手ぬぐい一枚で縫ったもの。
沢山買っちゃって、入るかな?入るかな?とドキドキしながらも今回もまた入ってしまった。
↓
お持ち帰り後^^
そして店開き!
ここちゃんの頭よりでっかいブロッコリーと牛蒡、人参4本(下にも隠れてる)茄子4本、胡瓜5本、ほうれん2把、ミニトマト!
入るも入るも、入りましたねー!
手ぬぐいを三つに折って、二辺を縫うだけで出来てしまう。
これは江戸の庶民があれやこれや考えて出来たものらしいです!
江戸時代、封建制だったとは言え、この長い平和な江戸時代がなければその後の日本はなかった。
武士や町人、農民のあいだで あれやこれやと考える和算ブーム、それは平和であればこそでした。
そのブームの先駆けであった数学者の関孝和は6代将軍の頃の人で、西洋の数学者より早く、なんか難しいやつを発見していたんですって。(ワタシ数学は苦手)
だから明治になっても日本は数学的基盤や高い技術力や勤勉さがあったからこそ、とんでもない速さで富国強兵が進んだのね。
文明開化というけれど、文明は既にすごく開化してたと思うんだけど。
文明開化というよりも異文化受け容れ?そっちの方がよさげな気がする。
日本の秩序や礼儀正しさや知識や文化は 世界を見廻してもなかなかないのでは?
ペリーさんやハリスさんや駐日公使などの幕末の欧米人の眼には、日本人は技術力が高く、誰もが幸福そうで、質素な暮らしをしている、と映ったそうです。
ごみひとつ落ちていない江戸の町は世界最大の都市で、また究極のリサイクル都市でもあったそうな。
大量生産、使い捨て文化を享受してきた高度経済成長の申し子のような私達世代ですが、
こうしてあずま袋を持って行って買い物をする・・・・、そして思い知らされるその素晴らしさ!
ありがとう、江戸時代のご先祖さま!(*'ω'*)
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おやつくれ
どんぐりまなこがなかなか可愛いやつです^^
テレビでNiziUが出ていました。
みんなキラキラして若くて健康そうで可愛い!
最近は家にいる時間も長いので、色々世間のことにも詳しくなってきた店主です。
因みに、YOASOBIの「夜に駆ける」
曲もアップテンポで、しかも早口ですね、歌詞も物語になっていて、憶えるのも大変ですね。
実は店主、曲に合わせて歌詞を見ずに一緒に歌えます♪(コロナ禍の昨今、人と話さなくてもこれを歌っていれば口輪筋トレに、
また、歌詞を憶えて脳トレに〜^^)
話は戻って
「NiziUって可愛いよねー、この人たちって うちの娘たちよりずっと若いんよね」
と旦那に話しかけると
旦那、お皿を洗う手を止めて、そして改めて問われました。
「・・・・煮汁(にじる)ってなんじゃ」
( ゚Д゚)
]]>門司駅北口を降りて 赤煉瓦館のある辺りは昔 本州と九州の入り口で 江戸時代、
長崎街道(詳しくは長崎街道は小倉から始まるのかな)の門司往還、大里の宿場町がありました。
で、その街道を門司港方向に向かって歩いていくと
安土桃山時代に建立された歴史の長いお寺、佛願寺というお寺がありまして
しかし幕末の長州戦争で一度は焼失してしまって、明治に再建されたらしいのですが
そちらの境内の桜が素晴らしく、桜の季節には夜、ライトアップされるのです。
ここちゃん散歩のついでに夜桜見物と洒落こみました。
桜の枝の向こうには月の光が コロナ禍でままならぬこの世界を優しく照らしていました。
月を愛で、桜を愛で、あんまり綺麗なので娘にもLINEで画像を送ってあげました。
すると返ってきた返事が
「この風流人が!」
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ビール500MLを二本
カップヌードルをふたつ(いつもは買わないのよ( ゚Д゚)
じゃがいも
ほうれんそう
蓮根
ホイル
椎茸
アボカド
えのき
エリンギ豪華版セット
市の指定ごみ袋
わんこの歯磨きガム
これが全て MOMOKOKOの手ぬぐいで作ったあずま袋に入っちゃうんです!
スーパーで うーん、こりゃキビしいかもなぁと思いながら、入れてみると
あら、大丈夫やん!あらあら。
このあずま袋、バッグに入れててもかさばらないし、なんなら手も拭けます。
あずま袋を作るのはいたって簡単。
みっつに折って、二箇所を縫うだけです(/・ω・)/
ユーチューブにも作り方、親切な人が紹介しています。
因みに先日紹介したお誕生日ケーキもこれに入れて持って帰ってきてました。
ケーキ屋さんから 「それいいですね、いいですね」と随分羨ましがられたみたいで^^
うふふ♪のあずま袋でした。
]]>抹茶を入れて米粉パンを焼きました!(パパさんが)
パパさんは大学を落ちたら板前になるつもりだったんですって。
最近 会社行くことが少なくなってシニア生活一歩手前になってて、
余りある時間で こんなことをやってくれます。
いやー、ありがたいことです('ω')感謝感謝。
じっとしてられない性格なので、コソコソ色んなことをしています。
いないと思ったらお風呂掃除をしてる。ベランダで水流してる。
いやー、ありがたいことです('ω')感謝感謝。
前の夫は「灯油、入れて」と言ったら
「灯油入れるくらいやったら寒いままでいい」と言っていたのに
今の旦那さんは「いいよいいよ、そんなことしなくて!」と寒い朝に私が起きて寒くないように
朝いちで灯油を入れてくれます。
人生ってわかりませんねぇ・・・・('ω')
毎朝、娘にラインをします。
娘は県外で一人暮らしで頑張って仕事をしていて、なんとちょっと出世もしました。
因みに今朝はコロナで在宅で時間があったのか
ちょっと会話が長引いて
色々 会話したあと
母:「でも、あなた、こんな優しい親、いないよ?」
「そうそういないよ?」
娘:「いや待て」
「それを言うなら、こんな良い子供おらんで」
母:「それはそうかも」(確かに否めないので素直に認める)
娘:「北斗の拳のケンシロウが子供やったらどうする?」
「私でよかったやん」
母:「はい」
「でもな」
「ケンシロウでもいいよ」
「強そうやし」
「有名人やし」
娘:「でも反抗期とかのときは秘孔突いてくるよ」
「有名人ではあるけど敵も多いし」
「食費もすごいよ」
「いつもムスッ…としとるし」
「ズボンの股のところにシワがいっぱい入っとるし」
「テレビの趣味も合わんよ、多分」
「トイレも座ってせんよ、多分」
母:「あー、わかったわかった、あんたで良かったよ」
と、ラインしてても口が達者でございます(*'ω'*)笑かしてくれるわー
]]>
そして、結婚して初めて旦那さんよりサプライズで、ケーキと花束を貰いました!
I got a present for the first time since I got married!
何度も言いますが、結婚して13年目にして初めて彼からサプライズプレゼントを貰ったのでした。
私から彼にサプライズプレゼントはあっても 逆のパターンは決してなかった!
そんな記念すべきお誕生日でした(´;ω;`)ウゥゥ
私の年齢は昔で言えばもう死んでいてもおかしくない年齢。。
そんな年齢の自分って 一体どんななのか?
想像もつかなかったけれど、現実の自分と言えば外見はそれなりに^^;なりましたが、
心はほぼ変わらず、相変わらず傷つくし、落ち込むし、メンタル強くなるどころか、
体力が落ちてくる実感と共に更にメンタル弱くなってきてしまったり、不安になったり。
結局のところ、人っていくつになってもそんなに強くはなれないのかも。
ただ、経験値を積むことで賢くはなれる。
コロナ禍で人とのコミュニケーションの機会がなくなって 元気をなくしてる人も多いかもしれません。
私たちはずっとこの日本では比較的平和な環境で生きてきました。
しかしながら歴史を振り返れば、人の世はいつも戦争や感染症に苦しんできた。
今のこのコロナ禍も未来に過去の歴史として、かつてのペストやコレラやスペイン風邪のように記述されるのでしょう。
結局のところ、人って、その時生きた時代時代に翻弄される小さな存在なのだなぁと、このコロナ禍で思います。
もし戦国時代の武士に生まれてたら戦いに参加してたり、幕末に生まれてたらコレラにかかってたかもしれない。
今、科学の力で人が宇宙に行き、様々な技術がとても進歩しても、未知なるウイルスの出現に地球規模で翻弄されてる。
人が時代や世の中に翻弄されてしまうそんなどうしようもない存在なら
せめて自分の心のありようは自分で決めたい。
自分を元気にするのは自分しかいないから、心が沈み落ち込んでいるなら
自分の脳をだまし、考え方をリセットして、今日一日をなんとしてでも幸せに生きなきゃ、勿体ない。
だって今年の誕生日は迎えられたけど、来年もまた同じように迎えられるかどうかなんて、きっと全ての人がわからないんだもん。
人も動物も虫も、生きとし生けるもの、みんな明日をも知れぬ今日を生きてるから。
因みに今の私は時間がたっぷりと自分の為に使えて、こんな時が自分の人生に訪れたことに感謝、感謝です。
思えば本当に忙しい日々を過ごしてきて、身体もボロボロになっちゃって、そんなことすら気づけてなかった。
今はゆっくりと身体をメンテナンスする時間もとれて、積読の本を読む時間もあって、趣味を楽しむ余裕もあり、
これからはちゃんと自分の身体と心の声を聴いて生活していこう *‘∀‘)って考えるようになりました。
だって昔で言えばもう死んでる年齢だもん!
まだまだ寒い日はありますが、陽ざしはもう明るく、もう確実に春はそこに来ています。
きっとこのコロナ禍も人類は克服しますね。
そして脱炭素化に向けて世界が動き出した!
かつて感染症をきっかけに歴史が変わってきたように、きっと世界は変わりますね!
]]>
お店はコロナ禍や私のキャパシティの問題もありまして、現在ご予約を頂いての営業形態なのですが、先週の土曜日、お客様から「お店に一回行ってみたいのですが^^」とのリクエストがあり、そちらにお応えしまして、一人、お店におりました。
このコロナ禍ですが、行ける時は行ってお掃除やお仕事をしておりまして、その日もお客様が見えるまで黙々と店内作業をしていました。
そして「そうだ、ポストの郵便物をとらねば」と思い立ち、外に出ました。
*注)因みにこちらの素敵な笑顔の方はモデルさん。
「あ、トングはどこにしまってただろうか・・・・?」ポストの中のものを取り出すにはトングが必要です。
実はこのコロナ禍中に、こちらのグリーンのポストの扉を開けるハンドルをパパさんが力任せに引っ張って壊してしまい('Д')、
中の郵便物が取り出せなくなってしまっていたのです。
優しい店主はそれをなじることもなく(-_-)←(そんなことには慣れている)買い替えも予算外ということで、その細い郵便物差し入れ口から、トングを使って配達された郵便物を取り出しているのでした。
でもなんかもうトング探すのもめんどくさいわと、とりあえず上の扉を開けて差込口から指でとれる大きな郵便物をとりました。
その時に 電気代のペラペラの紙がついでに手に触れた途端、ひら〜っと下に落ちていき、
ああ、電気代の紙!今月いくらきたの?と、ちょっと後追いしてしまったら肘の下までが穴の中へすっぽり。
「・・・・・・・・。」(空虚)
*注)因みにこの物憂い表情の美女は私ではありません。
しかしながら一度入れたものが出ない筈はありません。
懸命に手を出そうと、もがく店主。でも肘から下がっすっぽりポストの中に入っていて、こんなにもがいているのに
目の前を通り過ぎる車は誰もこの事態に気づいてくれず、その時に限って通行人も通らず。。。
ああ、もう、こうなったら消防署のレスキュー部隊の人に来て貰うしかない。けれど、連絡する携帯もお店の中。
この時、荒野の中、ひとり孤独な風を受けている自分がいました。
リンパマッサージの店を開こうとした事があります。
でもモデルさんのつまりをとってあげようとすると、何故か肩こりや疲れが伝染してしまう、という由々しき事態が続き、
やむなく断念。(それがなければMOMOKOKOはリンパサロンだったかも)
そしてその時、かつて習ったリンパマッサージのことを思い出しました。
一度入った手が出ないのは きっと無理に引き出そうとするうちに、入れた部分がどんどんむくんでしまったんだ!
落ち着け、落ち着くんだ!この事態をなんとか切り抜けるのよ!神様、どうかわたしを助けてください!
手が入ってた時間は20分も30分にも感じたけれど、実際の時間は多分もっと短かったんでしょうねえ。
はい、とれましたよ、自力で抜いてみせました。
え?どんなしてとったって?
そりゃ、リンパの原理ですかね?('ω')
で、店に入ったらすぐパパさんに電話をしました。「こうなったのもみんなアキラさんのせいよ!!( ゚Д゚)」
「え!なんで僕のせいなん!」
あれから5日経ちますが、まだ無理に引き出した部分が痛い今日この頃です・・・・。
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↑
仔犬時代のKOKOちゃん。
北海道、新宿、北九州 と、コロナホットスポットの北九州でしたが
なんとか感染状況も少しずつ落ち着きを見せ始め、MOMOKOKOも三か月の冬眠から目覚め、やっとこさお店を再開する運びとなりました。
ということで、先週の土曜日、3か月ぶりに陽子さんと再会!
積もる話に久々に笑い合い、久しぶりのお店にて再開に向けての作業をしました。
よーし、終わった、やれやれ、ほんならぼちぼち帰ろうか^^というところで
え?('ω')ようこがじっと見ている・・・・。
お店の扉の外をじっと見ている。
「・・・・・・・。」
息をひそめて見ている。
そして一言。
「蜂です。巣を作っているのかもしれません・・・・」
その眼はまるでゴルゴ13のような、まさしく敵を見極めんとする険しい目つきでした。
見ると、扉のすぐ左上にて足のなーがい大き目の蜂が上下しながら飛んでいる。
「ええっ!」
そして蜂の姿が見えなくなってから そっと外に出て、ふたりで遠目から扉の上を見ると
「やはりそうです。アシナガバチです。大体5月の連休が過ぎたあたりから巣を作り始めるんですよ」
って・・・・なんでそんなにあなたは詳しい・・・・。
「どうしよう?」店主オロオロ。
「業者に頼んだ方がいいですね。下手に刺されるとアナ・・・アナ・・・・」
「アナフィラキシーショック?」
「そうです!」
いやー、恐れ入りました。
ようこ、実に虫の生態に詳しくて 虫の話になるとなんでもよく知っている。
美しいキモノ美人の過去の顔は・・・・実は・・・・昔、野山を駆け回っていた少女!
ようこは言います。
「田舎育ちですから^^」
でも帰ってパパさんにその話をすると
「僕も田舎育ちやけど そんなん知らん!」
と、虫の生態については全くご存じない。
と言いますか、知らぬが仏です。
作成途中の蜂の巣がそこにあるなんてつゆ知らず、時々店に来て風通しをしていた私。
ああ、刺されなくてよかったー!
蜂の巣が出来るなんて、コロナ休業が生んだ、おもいがけないオマケでした。
で、即!業者に駆除して貰いました。
もう戻って来ないように毒も塗ってくれましたので、皆様 安心してMOMOKOKOにおいでくださいませ^^
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ニューヨークで無作為でコロナの抗体検査を実施したら およそ14%の人にコロナの抗体が確認されたとのことでした。
このことは もし感染してしまっても、発病するか、しないか、それはその人の免疫力にかかっているということですよね。
勿論、感染しない、感染させない為に 外出自粛、手洗い、うがい励行は当たり前のこととして、発病しない為に少しでも出来ることがあります。
外出自粛で 思いがけないたっぷりの時間のプレゼントを貰った私。
旦那さんに漢字の書き取り合戦をしようと提案し、漢検の本を探しに本棚をあさりに行くと
なんと!ツンドク(積読)だったのか、それとも読んでもうすっかり忘れていたのか
こんな本を見つけました。
本に書いてある内容を大まかに説明しますね。
免疫を司るのは主に小腸、そして大腸。総じて腸です。
そして腸には善玉菌と悪玉菌(どちらかが優勢になると優勢につく日和見菌もいます)があって、善玉菌が優勢であると免疫力は高まります。
善玉菌の代表は乳酸菌。
そして腸内細菌のバランスはその人の健康状態や食事の内容によって刻々と変化します。
その人の食生活で善玉菌と悪玉菌のバランスはまるでオセロゲームのように変化します。
A氏が焼肉をもりもり食べてビールもたくさん飲んでおいしい夜を過ごした日の夜は
A氏の腸内は悪玉菌が優勢です。
でもゆうべは飲み過ぎたという反省のもとに 野菜を多めに食べて、ヨーグルトも補給すると一躍、善玉菌が勢いを取り戻し、悪玉菌が少数派に転落。
つまり腸内細菌のバランスは食事の内容やストレスなどですばやく変化します。
もう一度言います。
善玉菌が優勢であると免疫力は高まります。
ストレスを受けると私たちの身体は緊張し興奮し、活動の神経である交感神経が興奮して血管が収縮し、粘膜を流れる血液の量が減ります。
つまりは腸に栄養や酸素を送っている血管の血液の流れも悪くなる。
ストレス→自律神経の不調→腸を痛める この図式です。
昨年、私がそうでした。
食事はきちんと気をつけているにもかかわらず、ストレスが続いていた間、ずっと腸の不調に泣かされました。
そしてまた睡眠もストレスと関係します。
睡眠不足は自律神経のバランスを崩し、自律神経の影響を受ける腸を痛めつけます。
そして食物繊維が少なく、脂肪分の多い食事をしているとどうなるでしょうか。
脂肪分の分解には酸素が必要であり、脂をとればとるほど腸内は酸素不足→食物繊維が足りず便通も悪い→悪玉菌の大好きな環境にΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン
話はそれますが 女子はケーキなどのスイーツ大好きなので、女性の死亡原因の第一位が大腸がんって話もここでちょっと頷けますね。
そしてかつて20代の頃、職場で若干33歳の若さで優しかった先輩が大腸がんで亡くなりました。
優しいが故のストレスを抱えておりました。
いつも我慢してたのではないかと思います。
我慢しないであの職場を捨ててもよかったのにと 今になって思います。
だから皆さん、腸を大事にしてあげてください。
ずっと文句も言わず黙々とおなかの中で仕事をしてくれている腸さんを大事にしてあげてください。
きつい下着で締め付けないで血流をよくして、お仕事しやすいようにしてあげて。
血流よくなるように 温めてあげて。お風呂や腹巻とかね。
そしてストレスはためないで。場合によっては逃げてもいいんです。
コロナ自粛で 家庭内のDVなど人に言えない問題を抱えている人も少なからずおられると思います。
家庭内の問題は人に言えないだけに辛いことです。
暗い目に見えないトンネルの中で苦しんでいる方は なんとかして逃げてください。
向き合う必要のない その価値もないことからは逃げるべきです。
自分を守れるのは自分だけですからね。
それから水分をしっかりと摂ることも大切です。
私たちの身体の70%近くは水。細胞は水で満たされた状態でこそ、その活動を行えます。
私たちが飲んだ水は約20分くらいで全身の細胞に染みわたります。
腸の細胞にも染みわたります。
常に水分補給を心がけることです。ジュースでなく、真水で。冷たい水よりも少し温かい水で。
そして最後に乳酸菌のトップクラスはこれです!
ぬか漬けです!
ただし、スーパーで買ったぬか漬けは乳酸菌がイマイチみたいです。
市場のぬか漬けか、自分でやるか。
私はタネを母に分けて貰いましたが ネットでも買える筈ですしね^^
お洒落でもなんでもない地味な食事ですが、ぬか漬けで優等生の乳酸菌、
玄米で食物繊維とミネラル、アボカド納豆にアマニ油を小さじ1足して 免疫力更にアップ、野菜たっぷりの味噌汁と、海苔で葉酸摂取、レモン酢ジュースでビタミンC摂って免疫力アップ。
因みにブロッコリーの茎、ぬか漬けにしてみたら 結構おいしい!歯ごたえもいい!
免疫力を上げる善玉菌を増やしてくれるぬか床生活、やってみるとこれがなかなか楽しい。
かつて何度も失敗した私ですが その敗因は大きな甕でやってしまったことかなぁ。
夏の暑さにやられたのと、かき混ぜるのをサボったから?^^;
いずれにしてもこれから夏に向かっても これくらいの冷蔵庫に収まる大きさの容器だと今度はうまくいうまくいく気がします。
最近は時間もあるし、毎日 かき混ぜるのが楽しみになってきたの。
柚子の皮とか柑橘系のものを入れると華やかな香りになるそうです。
私は唐辛子をたっぷり、そしていりこに、元から入ってた山椒もいい香り。
またもう少ししたら山椒の実が出回り始めるので もっと足すのも楽しみです。
そう言えば昨日「家政婦のミタゾノ」で言っていましたが、
あくまでかき混ぜるのは 素手で。
いくらきれいに洗っても手の常在菌は残ってて、その菌が糠の発酵を促すんですって。
コロナに負けないで 日々の楽しみを見つけ、自分や家族の身体を愛おしんで
この地球規模の難を 皆さんで乗り切りましょう!
]]>
お店の申告書も先週、無事に提出して(追い込まれないとやらないタイプ^^;)
ひとつ肩の荷が下りています。
それでも今年はコロナ禍で 伸びた申告期限も厳守でもないそうで。
本当に今まで生きてきて、こんなことは初めて。
当たり前の日常は当たり前ではないのだと改めて思い知らされることに。
普通に出かけて 仕事が出来て 人と話して
そんな当たり前の日常は 実はとても恵まれて感謝すべきものでした。
世界中の人々に早くそんな毎日が戻ればいいですね。
そんなコロナ禍の中、学生時代の友人たちから安否の確認のラインが届きます。
コロナ渦巻く首都圏の友人、スイスに住んでる友人・・・・
スイスの友人も彼女の旦那様の職場で二人、感染者が出たとのこと。
世界中、今は本当にみんなで危機感を持って 不要不急の外出をしないこと、それに尽きますね。
雨の月曜日。
今日は冬に舞い戻ったような寒さと雨と強い風が吹いてて
窓の外のブヒコちゃんたちも雨に濡れて寒そうです。
だけどだけど、元気出していきましょう(*‘∀‘)
おうちで楽しいこといっぱい探して 元気に明るく過ごして免疫力を下げないようにしましょう^^
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紙のマスクも洗えると聞いて 洗ってみると確かに!
不織布なのでとっても丈夫だし、帰ってきてから手を洗う時に一緒にマスクも除菌のハンドソープで洗って干してたら1時間もすれば乾いてます^^
念を入れたい時はそのあと熱湯消毒もお勧めします。
こんな感じで洗面所に干してます^^
苺さんに目が釘付け!
]]>
日本も世界の国々も地球規模で大変なことになっています。
お店も完全休業で、わんこさんの散歩と病院と日常の買い物に行く以外はstay home。
私が生まれた昭和30年代と 今は全く違う世の中となりました。
日本も高度経済成長を経て便利な時代になった と便利さと快適さを享受しながら でもまだまだとどまることを知らず時代は更に加速を続けてて、
一方 世界では環境破壊が進み、相変わらず争いが尽きず、先日アフガニスタンで本当に無私で良心の塊のようなペシャワール会の中村哲さんが銃撃されました。
新しいウイルスはこんな私たちの愚かな世界を嘲笑っているかのようです。
どんなに科学が進歩しても、この未知なるウイルスを前にして私たちはただただ翻弄されるばかり。
世界は凍てついて静まり返り、今は動かないことが一番の策なのですから。
新しいウイルスは非常に巧妙。
無症状や軽い症状で忍び寄り そしていきなり牙をむく。
そして感染の自覚がない無症状の人が動いて広めてくれることで ウイルスは自分たちをどんどん増やしていける。
今は経済より、その場の楽しみより 人の命優先でお願いします。
命がなくては経済もないです。楽しいこともないです。
今こそ、生かされていることに謙虚になり、自分も他人も大切にして、この危機を乗り越えないとですね。
おうちにいても愉しいこと、色々ありますよね。
私も今まで時間がなくて出来なかったこと、沢山あります。
断捨離、昨年から始めた大人のピアニカの稽古、習字の宿題、ためにためたダイエットの本を今こそ読む!とか色々ございます^^
明るい気持ちで 規則正しく生活し、睡眠をしっかりとって 栄養もぬかりなく。
レモン酢なんか作って毎日飲んでます^^
一度急ぎ足を止めて 私たちも世界も もう一度ゆっくりと考えてみるのもいいかもしれません。
]]>
ここちゃん、最近めっきり可愛くなってきました。
フレブルは一年間は悪魔 と誰かが言ってましたが 例外にもれずKOKOちゃんもザ・エイリアン。
でも なんか最近 ももちゃんのように妙に可愛くなってきまして
可愛いって?あたちのこと?
クリスマスチキンのような癒しの太ももでございます。
ずっと健康で元気に育ってね、KOKOちゃん。
]]>早いものでもう11月も半ばです。
街はもうすっかりクリスマスですね。
ほんとに最近一年があっと言う間です。
先日「天皇陛下御即位をお祝いする国民の祭典」がありました。
夜の高層ビルをバックに皇居前広場で歌う嵐のメンバー、みんなすごいわーと想いながら
その昔、私が中学一年生の時、日本一高いビルは霞が関ビルだけだったではないだろうか・・・・と思い返しておりました。
36階ですってー! びっくりやわー!
地方の少女にはまだ見たこともない高層ビルは全く無縁のもので
でも40歳過ぎて仕事で東京に行くようになると 去年より今年、そして次の年と どんどん高層ビルは増えて
えっ、六本木ヒルズ? えっ、虎の門ヒルズ? えっ、なんたらかんたら??
今や気が付けば東京は36階どころかもっともっと高い高層ビルだらけです。
富士山、東京タワー、高層ビル・・・高いところが好きな私には嬉しいのですが
最近は高層ビルよりも人形町とか谷中とかしっとりした下町がえらい落ち着きます。
ところで最近、うちの娘、ドコモさんの”Dヒッツ”なるものに入って日夜音楽を楽しんでいます。
そして娘が今 はまっているのは昭和の歌謡曲。
そのコメントが いちいち可笑しいの。
その昔、昭和のあの時代を過ごしたあなたなら その可笑しさ、わかっていただけるでしょうか?^^
城みちるの「イルカに乗った少年」→ イルカに乗って海を渡って来る → 「密入国やろ」
小柳ルミ子の「わたしの城下町」→ ”初恋” ”橋のたもと”などの名詞が出てくる →「わたしらの初恋とかの歌は
わーたし、さくらんぼー! とかやった」
奥村チヨの「恋の奴隷」 →”悪い時はどうぞぶってねー、あなた好みの あなた好みの女にーなりたいー”
→「・・・・ひくわー」
歌は世につれ世は歌につれ♪
時代はどんどん変わっていきますね。
特に最近は 時代の速度についていくのにえらいがんばらなきゃです。
なんでも中世の人が一生かけて得ていた情報を 現代人は一日で得てしまうんですって。
そしてセクハラ、パワハラ、もしこんな概念が昔あれば(泣)
宿題忘れただけで バシーーーーッンって理科の先生に殴られてたんですよぉ。
それでも毎回 宿題をしていかない私でございましたが。
急ぎ足で駆けていく世界。
その先にあるものって みんなの幸せなのかな?
秋の黄昏、ふとそう思う店主でした。
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私たちの大切なももわんが逝って 来月11月で一周忌になります。
この一年 本当にゆっくりさせて頂きましたこと、皆さまに感謝、感謝です。
色んなことが一度に色々やって来て、なかなか大変な一年でございました。
先週 二度ばかり ここちゃんが夜、暗い廊下に向かって「わんわん!」と。
ももわんが心配して来ていたみたいです^^
ももわんって仲裁犬だったんですよ。パパとママがもめてる、と感じたら必死に仲裁する。
折角お空でのんびりしてるのに心配かけてしまいました^^
お空、時々帰宅 の ももわんです^^
そして、おかげさまでわたしもすっかり元気です。
ずっとタフで来ていた自分だったから 身体の不調や衰えに自信も途絶えがちでしたが
多分今までタフ過ぎて、やっと年相応になってきたのかも!と思えるようになりました♪
しかしながら もうムリしてる年齢でもないので、廻りの人たちのチカラも上手に借りながら、
11月からまた以前の通り、水曜日から土曜日までの営業に戻すことに相成りました!
その分、一層 陽子さんに頑張って貰うので、流石に陽子さんも大変、ということで
「YOKOキモノ塾」は残念ですがこの度 終了することに相なりました。
今まで通って来て頂いてた皆さま、本当に申し訳ありません。
事情 お察しのうえ、また違うかたちでYOKOがお着付けを伝授させて頂く、という方向で
何卒宜しくお願い致します。
ももわんが逝ってからもう一年になりますのに ももわんにと先日お客さまがくださったお花が嬉しくて
こんなにももわんとMOMOKOKOを気にかけてくださって 本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
皆さまの想いにお応えすべく MOMOKOKOもマイペースながらお店をぐいぐい頑張りますので
どうかこれからも MOMOKOKOのこと、可愛がってくださいね。よろしくお願い致します。。
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とってもおいしそうな シフォンケーキです。
と言うか、あまりに嬉し過ぎて美味し過ぎました・・・(*´°`*)・・・
昨日、お客さまから「五周年、おめでとうございます!」と突然この美味しいお品を頂きまして
「えっ??」(店主と陽子 茫然)
昨年と同じく、またやってしまった・・・こんな大事なことを忘れるなんて。
お客さまが企画してくださった「5周年記念ランチ会」のご案内を玄関に貼っておりまして
と言うか、その日が11月13日なので なんとなく5周年はまだまだ先だわ、と思ってしまってました^^:
なんということでしょうか。ほんとにボケ店主です。
でも ありがとうございます!
そうそう、そうなんです!10月はめでたいMOMOKOKOのお誕生日だったのです!
ということで つきましては10月は 例年と同じく、お祝い月間でキモノと帯を20%オフで販売させて頂きます!
合言葉は「五周年!」(^_-)
この5年、本当に色々ありました。
店舗工事は出来てはいたものの、母の入院で頓挫していた店舗計画、一体いつになるやらという感じでした。
それが我が家で退院後療養していた母がある日「もう大丈夫。帰る!」といきなり帰ってしまわれて
その翌日から店舗計画がいよいよ再開したのです。
まずは開業日、開業日とネットで調べると 1年に僅か数日と言う好日が2014年10月4日でした。
まず開業してしまえばなんとかなる。開業さえすれば!
そこに何故か迷いはない私。緻密な計画性、なし。
10月4日にオープンするぞお~、それに向かって突っ走るのみ!
そこで準備に許された日はあと8日間でした。
人間、その気になればなんだって出来るんですね。
テントと看板のデザインをして発注、ロゴは娘に頼み、ホームページを作り、商品の手配をし、備品を用意し、ペンキを塗り、
看板が無事取り付けされたのが開業日の朝、ぎりぎり。
ディスプレイが全て済んだのがオープン1分前くらい(笑)
その8日間、寝たのか寝てないのかもう記憶にないけれど、
勢いでやる。やり遂げる。これぞ私のスタイル。こんな生き方もあり(笑)
それから 1年後に本格的にキモノショップになり 陽子さんが合流!強い味方を得ました。
それも今思えば 「一粒万倍日に天赦の好日」に開業したから なのかもしれませんね。
緻密な計画性 皆無なのに 試行錯誤を繰り返しながら なんと5年続いてるっていうのは陽子さんと、MOMOKOKOを可愛がってくださる皆様のおかげでございます。
やる時は勢いで突っ走るくせに普段はのんびりボケ店主をちゃんとサポートしてくれて
キモノのことは陽子さんに任せておけば まずは安泰!(あ、なんか無責任^^;)
おかげでわたしは仕入と店舗作りと雑用に専念出来るというわけなのです。
でもこの5年、とにかく前を向いてやってはきましたが、
自分の身体のことはなおざりにしてきました。
そんなしわ寄せがここのところ 少し出てきてしまっております。
仕事と家庭の両立なんてずっとやってきたことなのに 夏からの疲れがなかなか抜けません。
微妙なお年頃に突入してしまったのねー、まあ、生物ですから仕方ない。
お上は70歳定年に向けて策を考えているようですが このところ感じます、人間は60歳くらいを境目にして
段々弱っていくようになっている!(60歳を過ぎてみて初めて実感)
微妙なお年頃なのに頑張り過ぎたら そのあとのしわ寄せが容赦なく来る。
まだ還暦の日はちょうどお店のリフォームをしてて、ひとりで深夜まで頑張れる力がありました。
でも じわじわじわじわ来るんです~ 年齢という逆らえない壁が!(ー_ー)
店主、61歳。自分のメンテナンスもこれからはきちんとしていこう。
そしてゆっくり自分のペースで、無理せず細く長くこのお店を続けていければ と思っています。
「店番日記」が日々更新されてたら あ、あつこ今は体調いいのね〜の指針でございます^^
人を増員すれば今の価格帯も維持出来なくなってしまうので、のんびりペースですがこんなスタイルで
皆さまとのご縁を大切にしながらマイペースにやっていこうと思うMOMOKOKOです。
是非、五周年記念セールにも足をお運びくださいませ。
陽子とふたり、お待ちしております*^^*
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「店番日記」でキモノを紹介しないで なんで「ももここ日記」ばかり書いてるんだ??
とキモノを楽しみにして頂いてるお客さまには大変申し訳ないのですが
こうやって文を書いていると 何故かざわざわした心が落ち着くのでございます。
勿論、ご紹介したいキモノも沢山ありまして、写真もちゃんと撮っているのですが。。。
これ、我が家のおとといの朝食。
ふふふ、朝からハンバーグです。
大根おろしと青じそとみょうがとレモンの酢漬けをのせて 朝からこんなもん食べる罪悪感を少し中和。
キレイに盛り付けたので 見て見て!です。
そして明日は土用の丑の日。
MOMOKOKOの近くに 美味しいうなぎ屋さんがあります。
「いち川」ってうなぎ屋さんです。
って、さぞかし常連な感じですが、実は小市民なのでたった一回行っただけだけど、
本当に美味しくて、流石、名高い「いち川」さんです。
明日は土用の丑の日ですが、我が家、畳の表替えをしなくてはいけなくなったので、
今年もうなぎは食べられそうにありません。
うなぎと言えば、うちのパパさんは山口の田舎で育ちました。
「子供の頃は 近くの川で電気流してうなぎを捕って食べてたなぁ」
その言葉に北九州市で生まれ育った私は衝撃のカルチャーショックを受けました。
川に電気を流して電気でうなぎを痺れさせてうなぎを捕る・・・・
川にうなぎが泳いでるってだけでも へえーっなのに
一少年がやるにはあまりに高度なワザ過ぎで、ほんとにパパさんて、どこまでも未知の人。
]]>もう二年くらいになるでしょうか。
お店のお客さまで、とても素敵なお客さま、その方が習字教室をされていると知って
お願いします、習わせて!と陽子さんと二人、月に二回のお楽しみで通わせて貰っています。
その日はここちゃんは私が習字に出かけるのでお留守番。
そしてその出がけに近所のお友達からのラインに気づきました。
「今日、うちで飲まない?」
お友達のRちゃんはとても料理上手。
飼っているシュナウザーくんも可愛くて、二つ返事で 「お邪魔しーます!」
Rちゃん夫婦、同じマンションのTさん夫婦、そしてうちの夫婦と、三組でRちゃん宅に集合することになりました。
Rちゃんのお料理も Tさんのお料理もとても美味。
わたしも習字から帰って、ばたばたと適当なものをこさえて、会社から帰ったパパさんは急ぎここちゃんを散歩に連れて行き、
散歩から戻ると
「じゃあ ちょっと出かけてくるねー」
ここちゃんはあっけにとられていました。
「お産の面倒、お疲れ様!」
宴は盛り上がり、楽しい時間はあっと言う間に過ぎ、そして11時過ぎに夫婦はいい気分で帰宅しました。
「ごめんよー、今日は留守番ばかりで淋しかったねぇ」
とケージから出し、ここちゃんに限りない優しさと愛情をかけました。
そして時刻は午前2時。
ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ・・・・何かを舐めまわすその音で目が覚めました。
「・・・・なに?」
起きて暗がりを見ると パパさんの布団で、寝てるパパさんにぴたっと身体を寄せながら
ここちゃん、何かをくちゃくちゃしてるではありませんか。
急ぎそのお口からその何かを取り出すと それはなにかプラスチックなものでした。
そしてそれを確認する為に電気を点けると
リビングつながりの隣室の和室に 繰り広げられた凄惨な現場に 目が・・・
目がテンになりました・・・・。
わたしの習字の道具袋から先生に書いて貰ったばかりのお手本が引き出され、破られ、
はたまた墨汁のボトルを引き出し、そのキャップを奪い、
そして墨汁に染まった足で暗闇を歩いて・・・・
急ぎパパさんを起こし、流石のパパさんも目の前のその情景に茫然自失。
兎に角、これは拭くしかない。
しかしながら ウェットティッシュで拭いても 目地に汚れを押し込むばかり。
夫婦、錯乱。
そうだ!スチームモップがある!
だがしかし、頼みの綱のスチームモップは
あ・・・ああ・・・・( ;∀;) 更にその汚れの面積をいたずらに広げるばかり。
こうなりましたらね、もう人間、寝てしまうしかないんですわ。
そして朝。
朝の光に照らし出されたこの凄惨な現場に、流石のここちゃんも悪いことをしたのに気付いたみたいで
あたち、淋しかったから仕返しにちょっといたずらしたんだけど
流石にこのお部屋を見たら反省しましたわん。。。。
そして朝の散歩で真っ黒なウンチをして
大丈夫?墨汁飲んでる?
慌てて動物病院に急ぎ、心配ないことを確認したら もうあとは笑うしか・・・ない。
そう言えば 昔 博多に飲みに行って楽しくて帰宅が11時過ぎになった夜、
当時3才のももちゃんが 家でひとりで待っていました。
既にケージに入れなくてもよくなってて、自由放免のももちゃんでした。
「淋しかったのよ〜」としがみつく必死なももちゃんの顔の向こうに
ドアの廻りの廻り縁がずっと上の方までかじられまくっているという衝撃の場面。
あの時の補修費は2万円ちょっと。
今回の畳の表替えは 一体おいくら万円なのでしょうか?(ー_ー)
はい、働け、もっと!ってことなんですね・・・・。
]]>
2か月間、お世話お疲れさまでしたとのことで
由布院に一泊で保養に行ってまいりました。
雨の由布院でしたが、雨に洗われた緑と美味しいお蕎麦に癒されました。。。
そしてお蕎麦屋さんの前に
うおお〜っ 豆柴カフェなるもの発見!
カフェの窓辺にポーズをキメた白の豆柴。
だけど・・・・ポーズをキメたまま、じっと動きません。
「あの豆柴ちゃん、動かないね・・・」
するとパパさんが一言、言い放ちました。
「剥製やろ」
剥製・・・・・剥製?えっ?剥製?
豆柴の剥製がある豆柴カフェ?
そんな怖いもん、聞いたことないわっ(・・;)
安心してください、生きてますよ(ちょっと古い?)
そのあと、ちゃんと動きました!
ただ、豆柴ちゃんはきっと豆柴カフェの看板豆柴として、広告塔としての自分の職務をきちんと実行し、
みんなが見てる筈のその窓辺でポーズをキメ続けていたのに違いないのです。
全くパパさん・・・男ってやつは・・・(ー_ー)
]]>
あかちゃんと
そしてまたもうひとり手のかかるこの方
いつもなら体調を崩し気味なこの梅雨の季節。
おかげで体調を崩せません^^;
そして、6月某日っていう日は何かが起こる日。
まずは 再婚した翌年にパパさんのお父さんが亡くなり、それはこの6月某日。
そして、テレビの取材がMOMOKOKOに来たのが6月某日。
イッセーさんって本当にいい人でした^^
おととし、人生初めての骨折をしたのが6月某日。
この時はお店の看板を新しく付け替える日で、下駄をはいたまま上を見ながら後退してたら
道路の段差にひっかかって左足の小指がグキッ。
痛すぎる・・・ きっと捻挫したのね・・・でも普通に歩けない。
で、翌日 整形外科に行ったら
「残念ですが、骨折してますね^^」
でも骨折って結構悪くない。
五十肩の痛みで 結構強い痛み止めを飲んでた私でしたが
骨折のおかげでその痛みがなくなったのです。
五十肩の奥からの深い痛みと骨折の外科的な痛み・・・
何故か 外科的な痛みが優位に立ったあと、五十肩の痛みは消えたのです!
それは 骨折という身体の緊急事態に、身体が、再生するぞ!再生しちゃるけんね!
そう指令を出して、五十肩してる場合じゃないよ と私の身体に言い聞かせてくれたのだと
勝手に思ってます。
そして今年の6月某日は ばびーになりました。
それは6月上旬のある日、予定日より2週間近くも早く、まさかこの日だなんて思いもよらず。
しかも、超安産!するーっと産まれてまいりました!
きっと亡くなったお父さんが守ってくれていて、
そしてきっとこの日にはいい事があるよと(^_-)
モモココア! 海外赴任の長女が一時帰国で先週帰ってきて、こんなお土産を>^_^<
マリー・アントワネット由来のココアみたいだけど、
何故か、ももちゃんに似たシルエットのイラストに、
しかもネーミングが ももここあ! なんと!
今週は久しぶりに家族四人+あとひとりと一匹で賑やかな週末になりそうです。
*個人情報保護の為、日にちは 某日 と書きました!(笑)
]]>
我が家に赤ちゃんがやって来ました!
「あ、新入りやん!」
「もっとよく見せて!」
「じぃぃぃーーー。か・・・かわいい・・・・」
赤ちゃんの入浴シーンも興味津々。
最近のベビーバスはふーふーふくらませて、ふわふわで。
赤ちゃんにとても優しいの。
世の中、進化してるのねぇ。
フレブルって ももちゃんもそうだったけど、あかちゃんにとっても優しいのです。
ももちゃん恋しさに買ってきた後姿がももちゃんに似てるブタさんの置物。
仲良くお座りしてるのと 伏せしてるの。
それから 恋子ちゃんが来てくれて、その慌ただしさに淋しさも少しずつ和らいできて
今ではすっかり店主、元気です^^
そしてその二匹のブタさんのお耳は 悲惨にも恋子ちゃんにかじられてしまっております^^;
新米ママと時折やって来る赤ちゃんのパパに 美味しいお食事作りもばびーちゃんの役目です。
あと少し、頑張らなくっちゃ!>^_^<
]]>かねてより帰省中の次女に先日、男の子のベビーが生まれました♪
産室で 助産師さんから「おじいちゃん」と言われてムッとしたというパパさんには「じじ」、
そして同じく「おばあちゃん」と言われてムッとしたわたしはこの新人さんに「ばびー」と呼ばせることにしました^^♪
超安産で、きっと赤ちゃんがダイスキなももちゃんがお空から見守ってくれてるんだね と^^
赤ちゃんをとても大切にしてくれるももちゃんだから。
そして このお方も新入りです。
恋子ちゃんです。
「ここ」と読みます。
もも に ここ 完結しましたね♪
]]>
先週、「お彼岸は過ぎたのですが」と お客さまが手作りの落雁をももちゃんにと持ってきてくださいました^^
嬉しいのと 素敵過ぎるのとで胸がいっぱいに。
早速 帰ってももちゃんにお供えさせていただき、私もひとつ桜の落雁を頂いてみました。
ほんのり桜の香りが優しくて そう言えば今、桜が満開です。
春、ですね^^
昨年からお客さまには本当にご心配をかけてしまい、本当に申し訳ありません。
おかげさまで店主、元気になっております。ありがとうございます^^
そして、ご報告ですが 我が家に ももこの二代目がやって来ました。
ももちゃんにそっくりな黒いやつ、名前はKOKO です。
ももちゃんに似てるので もしかして ももちゃんの生まれ変わり?とも思いましたが
性格が全然違うので それはないみたいで でも家に手のかかる仔犬ちゃんがいるという毎日。
それはすごいことでした。
大きな声がまた出るようになりました。
「こらーっ!」とすばしこい忍者のような仔犬ちゃんを追いかけながら
気が付いたらまた大きな声が出せてる元気な自分がいました。
ももちゃん、笑って見てるかな?
私は涙の枯れた女で(なんか昭和の演歌?)
でも ももちゃんのおかげでまた涙が出るようになりました。
涙って科学的にも出した方がいいんですって。
時々 ももちゃんを想って泣きながら この涙はももちゃんからのプレゼントなのねと思います。
空に還る命 新しい命。
新しい命を迎えて、これから少しずつKOKOちゃんと家族になっていきます。
心配してくださったお客さま、ありがとうございます^^
そして大切な大好きなももちゃん、ずっとずっと大好きだから。
]]>
お店も週1回になり お客さまにはご不便をおかけしております。
ももわんを送ってから そろそろ三か月。
でも、ももわんの身体はもうこの世にはありませんが
ももわんはちゃんとお空で元気で、そして時々こちらに来てくれるようです。
カサカサカサ・・・と爪の音。ももわんが歩いてる時の爪の音。
1回目は「ももここ日記」を泣きながら書いていた前回の時の話。
その次は朝の4時頃、ももわんの歩くいつもの同じ爪の音で目が覚めました。
「ももちゃん 来てくれたん?」
ママサンがあんまり元気ないから心配で来たの。
そんなとこだと思います。
不思議な話ですが、本当の話です。
そして そのことにどんなにどんなに救われたでしょう。
命のシステムがどうなっているのかわかりませんが
きっとまた会える。確かにそう思います。
だからまた会える時まで 時々思い出しては泣きながら でも笑ってがんばらなくてはです!
1月、江戸ゆかたで有名な三勝さんの展示会にパパサンと行ってきました。
そしたら冠雪の富士山が窓からこんなに綺麗に見えまして(実は高いとこフェチ)
そして宿泊した両国のホテルからは あら、スカイツリーまで!
そしてパパサンの後ろ姿・・・・これって・・・これって・・・
妖怪人間ベムでは?!
]]>
私共のかわいいかわいいももわんがこの世を去りました。
ももこの生前 ももこを可愛がって愛してくださった皆さま、
本当にありがとうございました。
お友達がお庭のお花を花束にして駆けつけてくれて、一緒に泣いてくれました。
前々日、お見舞いに来てくれて 挨拶をとても大事にするももわんはその時は酸素室から出て、
歓迎の挨拶をしていました。その時頂いたチーズのパンをももわんは美味しいって食べて、
最期にももわんの棺にも納めてあげました。食いしんぼうのももちゃんだものね。ね、ももわん。
もっと早くに皆さまにお知らせしなければと思いながら
ここに報告する作業は余りにも辛く ご報告が遅れて申し訳ありません。
もともと2014年にお店を始めた時は ももわんとふたりでゆっくり週に3日、のんびりとお店をしていた事を
ももわんの看病をしながら思い出していました。
いつからか止まれない電車に乗って、降りることが出来ないまま、そのまま走り続けてました。
それは責任であり、期待であり、私の性分でもあり。。。。
今はゆっくりした時間のなかで 大好きなももわんの写真に話しかけて 一日を過ごしています。
どんぐりお目々の可愛いももわんは かいわれをほっぺたに付けておねだり。
ももわんらしい大好きなこの写真を遺影に選びました。
8月の終わりくらいから ももわんの呼吸が荒くなる時がありました。
特に夜になると呼吸が荒く、何軒かの病院にかかりましたが 最後は小倉北区のライト動物病院さんにお世話になり、
ご尽力頂きました。
診療日に休みがなく、入院設備も整い、複数の先生がいらして安心出来る病院で
そして何より担当の先生が大学の先生とも繋がっておられ教授の意見も仰ぎながら治療してくださり、
徹底的に検査をし、本当に力を尽くして頂いたと ももわん共々感謝でいっぱいです。
初診日に入院を勧められましたが 私共の家族になってからひとりで夜を過ごしたことのないももわんに
病院の狭い酸素室の中で夜を過ごさせることは却ってよくないと、朝、入院させて夕方迎えに行く方法をとりました。
先生もレンタルの酸素室を手配してくださり、翌日の夜には自宅に酸素室も届きました。
はじめはひとり隔離されることを嫌がりましたが この中に入ると呼吸が樂。
「しょうがないわね、でもここは結構ラク」と 闘病するももわんでした。
しかしながら 撫でてあげたい 苦しいももわんに寄り添いたい。
で、椅子の廻りに何枚もビニールを掛け、その横に開けた穴から酸素のチューブを入れて作る特製の
酸素室を作りました。
ももわんの背中を撫でながら 酸素濃度の管理をしながら 朝の5時まで一睡もしない夜。
その日から うっかり眠ってしまわないように1時間おきにタイマーをかけて看病する壮絶な日が続きました。
眠れない ということはすごく辛いことです。
ももわんは呼吸が苦しいせいで 眠れない。
眠っても 10分。
いつも幸せにねんねしていたももわんにはどんなに辛いことだったでしょう。
ももわんが眠れないなら お母さんも付き合うから と、いっぱいいっぱいの切ない気持ちでした。
食べているのにももわんは一気に痩せていきました。
眠れないのと 苦しい呼吸で痩せてしまうのでしょうか。
もう駄目なのかもしれない と暗澹とした気持ちになる時と
夕方 病院にお迎えに行った時 酸素室から出てあっけらかんとした可愛い表情に安心して希望を持つ時と。
ずっとこの日が来るのが怖かった。
ももわんが我が家に来て そして家族になって かえがえのない存在になってから。
10年前、北九州の郊外の家から愛犬ののんのんだけを連れて、仕事も辞めて、私は下関のパパさんの家にやって来ました。
お互いに一人娘は大学生で、福岡市で一人暮らしで、私はパパさんの食事担当として?嫁に来ました。
その2か月後、のんのんが お母さんの幸せは見届けたよ、と言うように突然他界しました。
のんのんは母子家庭だった10年間、ずっと私達母娘と寄り添ってくれたわんこです。
慣れない下関での暮らしと のんのんを失った喪失感のなかで「フレンチブルドッグが可愛いらしい」という娘の言葉で、ももわんは我が家にやって来ました。
最初は不良娘で人を信じず、どうしようかと思ったももこ。
自分のベッドを破ってそこから顔出してどうすることも出来ないやんちゃな幼児時代。
慌ただしい日々が始まり、色々手も焼きました。
こんな頃もありました。美わんこさんでしょう?
この頃はまだお耳が立ってました。
その後 耳血腫を患い くちゃっとしたお耳になりましたがそれもまた可愛くて。
真っ黒だったももわんが少しずつお口の廻りが白くなってきて
共に一緒に過ごした春、夏、秋、冬。
ももわんは わたしたちの幸せのかたまりでした。
相棒であり、親友であり、子供であり・・・・。優しく淋しがり屋でみんなに愛され
そして何故か言葉を理解しました。そして言葉だけでなく、人の気持ちも察しました。
なんででしょうね?
闘病のももわんの酸素室で 一度だけももわんの眼にうっすらと泪が滲んだ時がありました。
その時、ももわんの泪を見るのはとても辛く、切なく・・・・。
すると ももわんは すぐにあっけらかんとして それから一度も泪を見せることはありませんでした。
きっと私の悲しい想いを察したのだと思います。
たまに美味しいものを食べた時とか怒られたりした時とか じわーと泪ぐんだりして ももわんはとても感情の豊かな子でした。
そして ももわんの闘病生活は父の闘病の時と似ていました。
弱音を吐かないのです。
私が23才の時、父は膵臓癌で病床にいました。
毎日 会社の帰りにお見舞いに通う私に 事業家でもある父は私に病床から仕事を手伝わせることもありました。
全身チューブにつながれて、輸血で命をつないでいるのに
父には生きる、そしてまた仕事に復帰する強い気持ちと希みがありました。
癌であることを私は知らされてはいなかったですが その状況を見れば絶望的な状況であることは否めなく、
でも 私が泪を流せば父はなんと思うだろう
絶対助かる、 そう思い込むことで 私は泪を封印し、なんでもない様子で毎日病院に行きました。
「大丈夫、私が輸血の血、集めてあげるからね」
そう言った時、生まれて初めて父の眼から一筋流れる泪を見ました。
あとにも先にも私が見た一回きりの父の泪でした。
そして一ケ月にも満たない入院の先、父は49年の生涯を閉じました。
しかしながら闘病中、決して弱音を吐かずに、凛として生きようとしていた父の最期のさまを見届けて
甘ちゃんのお嬢さんだった私は強くなりました。
泪を見せればお母さんが悲しむと思ったのでしょうか。
ごはん要らない と言ったら お母さんが心配すると思ったのでしょうか。
ももわんは 亡くなる数時間前まで 私がお口に運んであげるものをぱくっと食べてくれました。
ずっと手作りごはんだったから 栄養が偏っていたのかもしれないと 人も食べれるドックフードもネットで見つけて
亡くなるその日の夕方、やっと届いたフードの粒を ひとつひとつ食べてくれました。苦しい呼吸なのに。
ももわんの最期は パパさんとママさんの腕のなかでした。
突然、必死の形相で 酸素室から出る!と訴え、出した直後、ももわんの異変。
思い切りの大声でお風呂にいるパパさんを呼びました。
亡くなる最後の日まで ももわんは酸素室に入るか お母さんの作った椅子の酸素室かどちらかを選び
きつい筈なのにふらつきながらも自分でちゃんと歩いていつものトイレの場所でトイレを済ませ、
大好きなお刺身のゆでたものをぱくっと食べてくれて お豆腐も食べて
その日の夕方に届いたドッグフードも一粒ずつ食べてくれてママさんを安心させてくれました。
まさかいきなりその日の夜に逝ってしまうなんて 思いもせずにいた私達でした。
本当にももわんは最後の最後まで きちんとしたわんこでした。
そして最後の最後まで 強かったです。優しくて凛として強かった。
ももわんの最期を看取って 抜けがらになったももわんを抱きしめて その夜はパパさんとママさんと川の字で寝ました。
段々冷たくなっていくももわんの大好きだったおなかさんやしっぽさんや背中さんを撫で、明け方、少しだけ眠りました。
とうとう来てしまったこの日でした。
だけど冷静に強くいれたのは 最後まできちんとして弱音を吐かずにいたももわんが そうしなさいと教えてくれたからです。
苦しいなか頑張って闘って 崇高なももわんでした。
ももわんが淋しくないように ももわんがずっと元気でいるように ももわんが幸せでありますように
淋しがり屋のももわんなので 長い時間の留守番はさせずに ママさんは出来るだけももわんと一緒にいて
それからお店に出かけていました。夕方パパさんが戻るまでの時間を逆算して ももわんの留守番が長くないように。
退屈なももわんが手をなめてなめて 血だらけになってしまうからです。
この10月からパパさんが週三日の勤務になり、ももわんの留守番はこれからは週に一日だけになる予定でした。
そしてパパさんの食事担当の為にが いちばんの結婚の理由だったのに お店の仕事と経営に追われて
私はずっと作っていたお弁当はおろか、朝もなかなか起きれなくなっていました。
県外の会社に通うパパさんの朝は早く、5時前には起床します。
考えれば 私も還暦。身体は間違いなくキャパシティーを超えており 健康不安もありました。
ももわんを失って初めて 本末転倒な毎日に気づきました。
大切なパパさんを もっと大事にしなくては。
そして ももわんがいない淋しい毎日をこれからふたりで乗り切っていかなくてはなりません。
ふたりの日々は いつもももわんと一緒だったので ももわんのいないふたりの暮らしはどんな暮らしなのか
今は ただただふたり ぽつんとしています。
という事情で、とりあえず12月から お店の営業を土曜日だけにすることに致しました。
月曜日と水曜日は 陽子さんが着付教室をします。
当面 このスタイルで やっていこうと思っております。
ももわんがいた日々は ただただあたたかく、優しい日々でした。
一緒に同じ時を生きてくれて ありがとう。
ももわんと一緒で 幸せでたまらなかったパパさんとママさんだよ。
沢山の幸せをくれたももわん、今はもう苦しくないね。ゆっくりたっぷり眠れるね。
先輩ののんのんにしっかり頼んだから 今は天国でのんのんと駆けまわってるかな?
でも時々はおうちに戻って覗いてみてよ。
いつかきっとまた会えるよね。
いつかママさんがそっちに行ったら真っ先に走って来てね、ももわん。
]]>
10月の終わりくらいから急変して危機的状況に陥りました。
毎日 病院のICUに入り、夜は迎えに行き、家で見守っていましたが
今は酸素室をレンタルして 24時間 家での見守りになりました。
病院の酸素室と違って 酸素濃度、温度、湿度管理が結構難しく
ももこの様子を見守りながら一喜一憂の毎日です。
生きようとするももこの強さに 私もしゃんとしなければと教えられます。
そんなわけで 折角 このページを開いて頂いておりますが
24時間見守りしております関係で 店にも行けず、暫くブログの更新が出来ませんことを
お詫び致します。大変申し訳ございません。
お店は陽子さんが在店しておりますので 通常通り営業致しております。
何卒 宜しくお願い致します。
ちょっと調子の良い時です。
点滴のお手々が痛ましいけど 頑張ってるももちゃん。
]]>
朝ドラでこの頃 よく聞くこのつぶやき。
私も昨夜、やってまった・・・・。
晩ごはんを慌てて作ってました。
ブロッコリーの茎をサクサクを切ってたら 小さなナメクジくんが現れました。
基本、ゴキブリ以外の虫は助けることにしています。
夫を呼んで 「ナメクジがいた!ベランダのオリーブの鉢に逃がしてあげて」
「はいはい」
そしてまた気が付くと 今度はでっかいナメクジくんが じゃーん!と現れました。
「またいた!これも逃がして」
「はいはい」
夫はゴキブリを素手でつぶすという荒業をこなす人ですが
基本、性格が素直なので私の言うことに逆らいません。
そして今朝、何故かふと気が付きました。
「あ」
もしかして、なめくじって害虫じゃなかったか?
急に 「なめくじなどの害虫に」ってホームセンターに売ってる殺虫剤の映像が頭に浮かんだのです。
おうちが農家の筈の夫・・・・学生の時は野菜の収穫とかも手伝っていたと聞いたことある。
夫を呼んで尋ねました。
「ねえ、もしかしてナメクジって害虫やない??」
「そうよ」
「そうよって・・・・そうよって・・・なんで言ってくれんやったん!」
「だってあつこが助けるって言うからさ」
「・・・・・・・・(絶句)」
折角、花が咲こうとしている我が家の大切なオリーブの木にわざわざ害虫をつけた。
やってまった・・・・。
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「ねえ、陽子さん、ペルーの首都ってどこか知ってるぅ?」
私の会話はいつでも唐突でごめんなさい。
すると陽子さん、「あ、えーと、なんでしたっけ?高校の時 地理や日本史は結構好きだったんですけど」
「・・・・でもいつも一夜干しでしたけどね!(^▽^)」
陽子さん、この手の間違い、結構多い(笑)
そしてまたあの美人だからまた可笑しいのでございます。
え?一夜漬けも一夜干しも同じようなものですって?
いやいやいやいや、漬物と干物、全然違うでしょ!(笑)
ですかね?byももこ
]]>やっとこさ昨日 決算、申告が済んで、例年思うのです。
今年こそは!今年こそは!マメに記帳、マメに入力、早め、早め!
毎年 12月のセールから慌ただしい日々がどどっと始まり、申告を済ませる3月までとにかく忙しい日々で
特に今年はお正月に改装を思いついてしまったので 更に忙しくなり(自業自得)
もっと早め早めにやっておれば・・・・と泪を流しながら仕事する私を
ももわんはコタツから他人事のように眺めて・・・・
って、このももちゃん、すごく可愛くないですか?(親バカ)
しかしながら 毎年申告が終わったら羽根が生えた気分です!
こんな気分です。
お店の入り口に飾ってある 鳥獣戯画、花見編 の手ぬぐい。
毎日、ひっくり返ってるカエルくんがおかしいやら可愛いやら^^
やっとこさ、我が家にも春がやってきます♪
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ゴオーーーーッとソニックに乗って 2月の連休
行って来ました、別府へ!!
娘が リニューアル作業が終わっても帳簿や決算が終わっていない!と騒いでる私を見て
「連休、二人で温泉行ってきたら?わたし、帰って ももちゃんの面倒見てあげるからさ。
そしたら上げ膳据え膳で家事やももちゃんのこと気にしなくて、ゆっくり温泉につかりながら帳簿も出来るやん?」
とナイスなアイデアを提案してくれました。
そして宿とJRの手配をしてくれたのです。(支払いまではしてくれなかった^^;)
急な提案で連休、空いてた宿は 「訳ありプラン」で訳ありのお部屋で洋室か和室か選べないとのことでした。
別府駅でタクシー、私達のスーツケースをトランクにひょいと入れようとした運転手さんが
その重さに思わずよろけて 「な、何が入ってるんですか!これは!金の延べ棒ですか!」
「まあ そんなところです^^」
その重さは 一年分の帳簿と書類の重さなのだ。
宿に着いたら その訳ありのお部屋は 川端康成のように温泉宿にこもって仕事するといった
私のイメージをくつがえす まさかの洋室!
訳ありの理由は 大きな窓があるのに隣接する棟の大きな屋根で殆ど外の景色が遮られている、と
いうものでした。
でもミッションを遂行するのに ぴったりな大きなテーブルと椅子が何故かそこにはありました。
まるで 頑張って仕事しなさい とでも言うかのように。
宿に着いて おもむろに書類をベッドの上に広げ、仕事を始める私達。
私が記帳したやつを 弥生会計にひたすら入力して貰うのだ。
原始記録の棚卸はエクセルに打って貰って ここは流石 企業人!さっささっさと集計。
あと、医療費の領収書もやっといてねと
おびただしい領収書の束を分けて貰って 集計して貰って
会社では部長の旦那さまを顎で使う私(笑)
でも現金出納帳の月計が 入力した弥生会計の数字とぴったり合うと にこ〜っと
嬉しそう!
こうした地道な作業をコツコツ、コツコツ・・・・
・・・・って、観光地にまで来て、なにやってんだ!私達!Σ( ̄ロ ̄lll
と ふと我に返りながら
でも日が暮れるまで仕事したら あとはお楽しみの温泉とお食事が待っていて
おなかいっぱい食べて、お酒も呑んじゃって、「また部屋に帰ったら続き頑張ろう!」と言ったのに
コテッと寝てしまうふたりなのでした。
で、結局 50%は進みました!
あとは 今日もせっせせっせと頑張っております。
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ももちゃん、今日で9歳になりました( ´ ▽ ` )ノ
↑はお店オープンした頃の懐かしいももちゃん。
日本列島が寒さに震えてる今日のももちゃん。
ストーブ独占!でも可愛いから許す(笑)
なんでこーんなにかわいいのかよー♪孫が生まれたらこんな感じで無条件に可愛いのかしら?
そんなももちゃんも、もう立派なシニア。
オープンしてからずっと一緒に通勤してきたけれど ママさんの体調があやしくなった去年あたりからももこは留守番が多くなりました。
頑張って連れて来ても ももちゃん、かまって欲しくてお客さんにわんわん吠えてしまったり お店から出ようとしたりして危なかったり ママさんの心配は尽きません。
でも、ももちゃんにとっていちばんいいかたちをママさん、考えました!
これからも看板犬として がんばってね♪ももこさん♪
カウンターの上に座って「いらっしゃいませ」
これこそ正しい看板犬!
お客さまが撮影してくださったももちゃんです。
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それが去年、たまたま観てた「今日のわんこ」に目が釘付けになった私。
それは東京 品川のカフェの看板犬、テテちゃん。
お客さまがお店に入って来ると カウンターの前のテテ専用の椅子で待ち構えてたテテちゃんが
腰を振りながら歓迎のダンスをしてるーーーー(≧∇≦)
うわぁー、なんて可愛いんだ!これは会いに行かねばよ!
ダンス、してくれるかしら?
で、
飛行機でゴォーと東京へ!
(って、実は昨年次女の結婚式があったので 前の日に訪ねようと思ってたのでした)
で、なんとか捜して夫と長女と三人で訪ねたカフェの扉を開けると・・・
「いらっしゃいませわーーん」
ダンス、ダンス、ダンス♪テテダンス♪
テレビで観たその通り、テテダンスで歓迎してくれましたー!
私達が席に座ってからも 新しいお客さまが入ってくるとダンスを披露してるテテ。
そのテテが 年末たまたまかけたテレビで 「きょうのわんこ大賞」最終ノミネート二名、でなくて
二犬に残っているではありませんかーーー!
そして圧勝で 昨年の「きょうのわんこ大賞」に輝きました♪
テテ、おめでとう!(≧∇≦)
]]>クリスマスイブの日曜日、ももこは
パパサンの足の間での昼寝、最高だわん♪
おねえちゃんの腕枕にコタツ、ふたつを欲しいままなのだわん。
ママサンは一日 パソコン仕事。巷はイブなのに 我が家はいつもの日曜日なのだわん。
さあ、やっとごはん!
えっ!ライバル出現?
牛のミルフィーユちゃんがクリスマスに我が家にやって来たのです。
ミルフィーユちゃんには負けないわっ!
パパサンはあたちのものよ!!
(笑)
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常に快適を求めるその姿勢がステキ。
お尻がはみ出しても クッション命。
お留守番は ママサンが作ってくれた特製ももこ用テントの中が多く。
「・・・・おかえりなさいワン」
(遅くなったので怒ってて目つき悪し)
今日もママサンの相手 疲れたわと、ねんねのももちゃん。
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コタツに入ってるももこさん
ストーブの向こうで必死にご飯を食べてるももこさん
クッション3個も独り占めしてるし!
]]>先日のお休み、MOMOKOKOで仲良しになったTちゃんが赤ちゃんを連れて家に遊びに来てくれました。
「あかちゃん、見たい、見たい」と、ももちゃんもそっと赤ちゃんを覗きます。
大人の人には 「こんにちは こんにちは」って舞い上がって激しく愛情表現するのですが
赤ちゃんや小さい子どもにはホントに優しい。
小さいから大事にしないと ってわかってるみたい。
Tちゃんは三年前にこっそりとMOMOKOKOをオープンした時、「あれ、こんなところに雑貨屋さんが」と立ち寄ってくれた女の子です。
お話ししていると、うちの娘たちと殆ど同じくらいの年で、しっかりとした優しいTちゃんといつのまにか年齢を超えて仲良しになり、勝手に「第二の母」なんて言っていました^^
この三年の間に 今の旦那様との出逢い、結婚、旦那様の転勤で関東へ、そして先日、赤ちゃん出産の為、北九州に帰ってきて、今回 赤ちゃんご披露に。
生後1か月と僅かで 既に大物の器を感じさせてくれる可愛いあかちゃん。
流石にTちゃんの赤ちゃんです。
TちゃんはMOMOKOKOが本来の目的のキモノショップになる為のキーパーソンでした。
勿論、Tちゃん自身はそんなことには全く気が付いていなかったのですが
人の縁とは不思議なものです^^
人に優しく、きちんと生きていれば、きっと全てはハッピーエンド。
まだまだ人生の旅は色んな小さな嵐にも遭遇するとは思うけど、Tちゃんを見てたらそんなふうに思えるのです。
赤ちゃんが大きく健やかに成長しますように^^
]]>今日webサービスで合否発表でした。
で、気になる結果は・・・・・・
2級、合格おめでとうございます
高度経済成長昭和女子、やりました!(= ̄∇ ̄
試験前日、その日はお店の帰り、そのまま外食し家に帰るなり ただひたすら四字熟語の過去問をやって
覚えて覚えて覚えまくり 頭、もう飽和状態よ、これ以上ムリ(@_@;)と言うまで覚えまくりました!
(学生の時でもこんなに必死に勉強したことがあっただろうか・・・・)
あの「汗牛充棟」は出なかったですが、10問中 「小心翼翼」「不偏不党」「妙計奇策」この3つは前夜やってて^^
あとは知ってるやつと知らないのはなんとか推理力をば発揮し、うまいこと出来まして、
課題だった四字熟語、結果、なんと30点中28点とれてたのでございます!
夫の運転で試験会場へと向かう車の中でも悪あがき。
全て目に入る四字熟語を貪欲に呑み込もうとしてまして
パタパタとひらめくタクシー会社ののぼりの四つの漢字にも敏感に反応する私。
「ああ、あんなとこにも四字熟語が〜(@_@;)」
「事故撲滅・・・・あれは標語じゃ!」
普段はボケ気味の夫にツッコまれつつ、ドキドキワクワク試験会場へ。
久しぶりの緊張感。背筋がピンとなる緊張感。
そして 嬉しい結果も今日戴いて、なんだか失いかけてた自信もちょっと復活です。
まだまだやれるぞ、昭和女子!(≧∇≦)まだまだ頑張れ、昭和女子!
いくつになっても 目の前にあることにちょっと一生懸命になってみるっていいもんですね^^
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ちょっと寒い朝でも ももわんだけはぬくぬくです^^
って、ももわんの冬支度、早過ぎ〜(≧∇≦)
]]>スマホで写真を撮ろうとしてモードが何故か自撮りモードにでもなっていようものなら
ぎゃあっ!!見てはいけないものを見てしまった・・・・(-_-;)てな感じで
まあ、来年 還暦女子ですからね。これは全くの自然な流れなのではございますが。
が。が!こんな私にプリーズ自信!
ということで 私は考えました。
何か、自分を喜ばせてあげる材料はないのか?
で、考えた結果、てっとり早く漢検を受検することにしました。
なにがしかの試験に合格する というのは嬉しいことです。
世の中には色んな試験がありますが、漢検はネットでも簡単に申し込めて、お手軽です。
で、合格したら嬉しい、合格しなくても特に弊害もありません。まあ、がっかりするくらい?
で、締切ギリギリに ネットでぽちっ!
あとは10月15日までせっせと勉強しましょう。
だけども漢字の読み書きは結構得意だから楽勝で受かるであろう^^
と思っていたのに いざ問題集を開いて実際にやってみると
い、いかん!四字熟語がわからん!! ^^;;;;;
ついでに 部首 もわからない!! ^^;;;;;;;
丙の部首は 一(いち)
亜の部首は 二(に)
辛の部首は 辛(からい)
こんなのわかりますかーーーーー??? ^^;;;;;
数々の試験を突破してきた受験のプロ、娘に相談すると
娘は言いました。
二百点満点のうち「部首」の配点は10点。これは捨てろ。
「熟語の構成」これは20点。これは配点率が高いが、テクニックでなんとかなる。
あと、四字熟語、これは覚えるしかない。配点は30点である。
合格ラインが160点なので、「熟語の構成」をテクニックでこなし、
四字熟語を勉強したらなんとかなるであろう。
という貴重なアドバイス。
(あんなに小さかった娘が今はこんなに頼もしく(T_T) )
で、よーし、勉強するで!と問題集に向かおうとしたら
あれ?眼鏡は?赤鉛筆は?あれはどこにいった?と いつものように捜しものが始まり
そうよ、捜し物をするのは 家の整理整頓が出来ていないからだ!
とまずは 家の整理整頓をし、環境を整えることから始めることに。
まずは押し入れ。無印に行って整理整頓クリアケースを買ってきて
せっせと整理整頓。
廊下の収納も百均に行って買って来ました。
これでゴチャゴチャグッズもばっちり整理整頓出来そう。
休日も せっせせっせとお片づけ。
・・・・で、私、一体何してるんだ?
勉強、しなくていいの?
で、10月15日まであと3日ですね^^;;;
間に合わなーーーーい!
ちなみに 四字熟語「汗牛充棟」なんて皆さん、ご存じ?
汗かいた牛が棟に充満 って なんなの?
意味を調べると ”蔵書が非常に多いたとえ”なんですって。
ひえー、道のり遠いわー(@_@;)
↑
娘が収納のタグに描いてくれた汗かいた複数の牛さん。
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味気なく殺風景なベランダを和モダン庭園にしたい・・・・
かねてからそう思っていたのですが 業者さんに見積もりをしてもらったところ、
ウン十万円と言う とんでもない回答が返ってきたので(-_-;)
それならばと 自力でなんとかすることにしました。
で、色々考えた末、amazonにてフレキシブルに使えるというタイルを購入し、3分の2を敷き詰めまして、
あとはホームセンターで白玉砂利と焼杉を買ってきて、排水溝側を焼杉で仕切って、グリーンを並べて残りの
空間に砂利を敷きました!
簡単和モダン庭園、なんかちょっとよくないですか?(≧∇≦)
ウン十万円が3万円もかからず出来てしまいました♪
夜、これに照明を当てるとまた更に癒し度がアップして、癒されるのでございます^^
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なにかな?と思って開けると
えっ!う、うちのお店が三周年!?
す・・・すっかり忘れてたわー^^;;;
セールやらお店の模様替えや仕入れやら なんやらかんやらで(@_@;)
ほんと 忘れてました。
そんな手作りお菓子をプレゼントしてくれた友人も 私と同じチャレンジャーで
2年前、狭山駅近くで スイーツカフェを立ち上げました。
長年、コツコツとお金を貯め、お菓子作りを独学で修行。
そして50代も終盤にして 駅近の三階建ての売店舗を買い、大規模改装をしてショップオープン。
「デージーカフェ」って言います。埼玉にお住まいの方、是非行ってみてください。
天真爛漫で気さくなオーナーが出迎えてくれますよ*^^*
ほんともう、私達 高度経済成長期に子供時代を過ごした昭和女子はある意味怖いもの知らずなのかもしれません^^;
だけど現実はショップオープンして やった!めでたし、めでたしではなく
そこから 何度も何度もめげながら 試行錯誤を繰り返し
お店を育てていくのです。彼女はそんな同志!
で、夫に「お店、3周年だったの忘れてたわー ( ´,,・ω・,,` )」と言うと
几帳面な夫は あらゆる出来事を手帳に記しており、三年前の手帳を調べ、
「ほんとだ。10月4日オープン。で、その前に9月26日にお母さんが家に戻ってるね」
あ、そう言えばそうでした。
8月から入院していた母が退院後、暫く我が家で養生していたのでした。
またお店をやるなんて言ったら きっと驚くので、母にはお店のことは内緒にしていて
もうお店オープンは暫く立ち消えね・・・・と内心あきらめていたのでした。
で、私が着付師試験に合格したその日、「もうよくなったので今日帰るわ」と
いきなり母が家に帰ってしまわれたのです。
「母が帰った・・ ( ´,,・ω・,,` )」
そして晴れて母の身体の心配がなくなったその翌日から、暫く凍結していたお店計画、またスタート!
さあ、まずはいつオープンするのか?
で、ネットで調べると、一年に数日しかない吉日が一週間後の10月4日ではありませんか。
・・・・一週間でお店をオープンさせる。
商品も揃ってない。内装はしてるけど什器、備品もまだまだ揃ってない。
看板もない。ホームページもショップカードもなにもない。
どんな店作りにするのか?宣伝はどうするの?あと一週間だよ。
さあ、どうするのよ?あつこ!
・・・・なんでもいい。年に数日の吉日を逃したくない!
とにかく一週間後、10月4日にオープンさせるのよ!
オープンさえさせれば あとはなんとかなる。なんたって一粒万倍日で、なんたらとかいう吉日だもの!
そうなんです、そこが高度経済成長昭和女子のチカラ。
やった、やりましたよ。ほぼ自力でやりました。殆ど一週間、寝たのか寝てないのか
人間、成せば成るんですねー。
商品開拓もなんとかしました。ホームページも作りました。看板もデザインを考えデータを送り、
無理なお願いをして確か前日か当日の朝に設置されたんでした^^;
什器のペンキ塗りは友達にも手伝って貰って オープンの日の朝、ペンキが乾いているか心配でした^^;
宣伝は「イエンカンブロカンテ」のオーナーがfacebookで書いてくれました。
福田さん、その節は本当にお世話になりました^^
そして あれから三年。
今はキモノの講師兼スタッフ、陽子さんという強い味方も得て しっかり、店主のボケもカバーして戴き、
何度かの試行錯誤を繰り返し 現在に至っております^^
オープンさえさせれば、あとはなんとかなる、その通り、なんとかなってるんでございます(笑)
今年はおトシなのに去年頑張り過ぎたせいか、体調不良やアクシデントで自信も途切れがちになっていましたが
それでもお店は確実に育ってる!
おトシに負けるな、無理せずがんばれ、 来年還暦、昭和女子!です!( ´ ▽ ` )ノ
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